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2019年4月14日日曜日

遊劇舞台二月病「Shadow」の稽古場へ行ってみた。



大学の先輩である、中川真一さん・松原佑次さんが主宰する、遊劇舞台二月病
公演間近ということで、お稽古場へお邪魔させていただくことにした。

というのは、実はここ何公演も、スケジュールが合わず観られていないのだ。
先日、劇団大阪新撰組『短編まつり2でも共演させていただいた、古川智子さん(劇団大阪新撰組)、本多信男さん(カラ/フル 劇団大阪新撰組)、中村ユリさん(魚クラブ)も出演されるとのこと。これは劇場で観るしかあるまい。

 ※中村ユリさんは、お昼のお稽古は不在。残念。

ひと月前までは毎日のように通っていた、スタジオガリバーでお稽古があるとの情報を聞きつけ、本番一週間前ピリピリしているであろうお稽古場にのこのこやってきたのである。

 


■遊劇舞台二月病って、こうゆう劇団でっせ。

小劇場をよく観ている方であれば、名前くらいは少なくとも知っているであろう。各劇場の賞を受賞し、演劇関連のイベントにも精力的に参加している。主催の一人である松原さんは、他団体の公演にも引っ張りダコだ。

念のため、ここでは改めて、遊劇舞台二月病のデータを載せておく。

“近畿大学演劇部覇王樹座OB中川真一と松原佑次が立ち上げた、劇団。 実際の事件を類似事件と照らし合わせ、被害者、加害者、傍観者の視点で考察し、各々の無力さを演劇にしている。無力さを知ることは後悔をすることで、演劇という仮想現実での追体験にて後悔を先に立たせ、教訓を得ようと考えている。自らの演劇をブルーカラー演劇と称している。2014年「Night Way苗と上へ」にてウイングカップ4最優秀賞受賞。2016年大阪現代舞台芸術協会プロデュース演劇エキスポに参加。2016space×drama2016にて優秀劇団を獲得。“
HPより。https://nigatsubyou.jimdo.com/
 遊劇舞台二月病の舞台を観たことのある方はご存知だろうとは思うが、割とけっこうへびぃな作風だ。
それぞれ、登場人物の力だけではどうにもできない、どうしようもなさ、喪失感、虚無感。そういった“もやもや”を繊細に描く。だから辛い。ヒリヒリする。

しかし一方で、“演劇らしいカッコよさもある。ここに中川さんは、「ドロ臭さ」を織り交ぜる。
ともすれば、「オーソドックスなシーン」になってしまうが、このドロ臭さによって、俳優の生命力が感じられる。「カッコ悪くてかっちょいい」シーン。この加減が上手い。

今回の作品も、きっと、カッコ悪くてかっちょいいシーンを差し込んでくるだろう。
へびぃでただ後味の悪さを残すだけではない、辛さやどうしようもなさを包んでほんのちょっとだけ押し上げてくれる、ほんのちょっとの爽快感のある作品になることだろうと期待感が膨らんでいる。

■なにはともあれ、お稽古の様子

さて。紹介した通り、まぁまぁへびぃな作品をつくる遊劇舞台二月病。
公演一週間前ということで、軽くビビりながらアトリエへ入ってみたわけだが、一瞬で拍子抜けした。

なんだこの和気あいあいなムードは。

人のお稽古場へお邪魔するとき、割と“お芝居やってますよ感”みたいなものをついつい期待してしまう。

いわゆる、灰皿投げたり怒号が飛び交ったり誰かが泣いたりみたいな、そういうの。

なんせ、あんなにへびぃな作品をつくってるわけだ。そういう、“やってますよ感”が少しくらいあってもいいだろう。

まぁ、あったらあったで、こちらは戸惑う一択なのだが、何故かやっぱり期待してしまう。
が、残念ながらそんなギスギス、チクチクする感はまったくない。

なんて楽しそうな現場だよ。ちくちょう。←嫉妬。


二月病というと、やはり作・演出の中川さん、客演でも活躍する松原さん、の主催二人の名前がまず挙がる。
しかし、二月病はその二人だけでは成り立たない。他のメンバーも絶対に忘れてはいけない。

二月病のチーム力はすごい。チームで作品を支えている
一つのシーンの小返し中も、メンバー全員が演出家の目でシーンをみている。そして、面白いことに、シーンを見ている俳優と、演出・中川さんの、「頷くタイミング」や「首をかしげるタイミング」が同じなのだ。
二月病のお稽古場には、中川真一が多数いる。

それが、二月病のチーム力を高めているゆえんではないか。皆が、演出家の感性で作品づくりをしている。
ゴールは同じ。座組全員が、進むべき方向を理解しているのだ。

とんでもない作品になりそうだ。

公演は4月19日~21日まで、ウイングフィールドにて。



遊劇舞台二月病 第習回公演
Shadow

作・演出 中川真一

【日時】
20194
19日(金)19:30
20日(土)11:30/15:30/19:30
21日(日)12:00/16:00

※受付開始は開演の40分前、開場は開演の30分前。
※上演時間は90分を予定。

【会場】
ウイングフィールド 542-0083 大阪市中央区東心斎橋2-1-27 周防町ウイングス6階

地下鉄堺筋線長堀橋駅7番出口より徒歩3分

【料金】
前売2500/当日3000
学生割引 2000円(※要学生証)
なかよし割(3名)6300円 (※要予約。予約は前日まで。)

【出演】
石田麻菜美
武田真悠
橋本達矢
松原祐次
三村優里花
ルーデルマン大地 (以上、遊劇舞台二月病)

中村ユリ(魚クラブ)
本多信男(カラ/フル 劇団大阪新撰組)
古川智子(劇団大阪新撰組)

【チケット取扱】

【問合せ】
nigatsubyou@gmail.com

2019年1月8日火曜日

(・・・昨日の記事を読み返すと

・・・(昨日の記事を受けて、)と、いっちょ前に思うのだ。セカイはもっと広いのになぁ。と。
演劇を介するとセカイは無限に広がってゆくのに。現実ではなぜこうも視野が狭まるのだろうか。

それはつまり、「演劇は嘘だ」という、どこかでそういった諦めがあるのだ。

演劇をホントにしたいと。
ホントの延長を演劇にしたいと思っていたのに、そんな自分が一番に線引きしているのがなんとも切ないことだ。

ただ一つ、救いがあるのは、
演劇は、現実よりも豊かだということだ。

昨日みた、かしこしばい『河童ライダー』でのセリフの様に。

演劇のドコがすき?―なんでもアリなところ。

本当は、現実でもなんでもアリなのだ。
ただ、自分がブレーキを離さないだけで。

それだけはわかっている。


でも、演劇は、決して嘘ではないのだ。

2019年1月7日月曜日

2019年観劇はじめ。『河童ライダー(かしこしばい 於:ウイングフィールド)』をみました。

2019年の観劇はじめは、実は9日の予定でした。が、ひょんなことから繰り上げで観劇はじめをすることとなりました。

というのは、わたしが小劇場に足を踏み入れて間もなくの頃からお付き合いのある、パイセン兼マブダチ(死語)のスタッフさんから、「たぶん、すきな作品だと思うよー」と、わざわざ電話での知らせがあったからだ。深夜に。

お仕事もあるにはあったのだが、10年来のマブダチ(死語)が薦めてくれるなら…と、半徹夜で子宮頸がんの検診を受けた後、諸々の予定をさくっと終わらせて劇場へ向かうことにした。コンディションは、まずまずだ。

知ってる人は知っている、知らない人は覚えてね。
何を隠そう、わたしは「アングラ」が大好物だ。
「なんたってわけわからん。でもなんでこんなに感動するんだろう。わけわからん。」みたいな作品は、もう、たまらん。

そして、「静かな演劇」も大好物だ。
「なんて凝縮した空気感。生感。何も起こらないのに、どうしてこんなに劇的なんだ…!」みたいな作品も、もう、たまらん。

話は逸れるが、商業演劇軽演劇もすきだ。あと、いい大人たちが汗だくで唾飛ばして捲し立てる系の、いわゆる小劇場演劇(ちょっと昔の、オーソドックス!なやつね。)もめちゃくちゃすきだ。


■『河童ライダー』について。作品の話しなくっちゃ。■


で。
今回拝見した『河童ライダー』
ジャンルで言うと、「アングラ」と「静かな演劇」の合いの子。という印象(つぼさか視点)。どちらの要素もある。でもどちらでもない。という感じ。

これは、良くも悪くも、という意味です。良くも悪くも「アングラ」だし、良くも悪くも「静かな演劇」だったという感想でした。どちらも大好物なだけに、《物足りなさ》を感じてしまう部分もやや目立ちました。一観客として。

作品全体としては、上の件もありつつも非常に好感が持てる仕上がりになってるなと。とても感心しました。すごいなぁ、若い人たち…。

追いかける…とまではいかないまでも、次回‥次々回の作品はチェックしてみようかしら。と、思っています。

ちなみに、あらすじ…というか、内容は、ある家族のお話で。

結果的に孤独死のような形でおばあちゃんを亡くしてしまった僕(主人公)の心を描いた作品で、
演劇部の僕が、おばあちゃんを河童になぞらえて脚本を書いているシーンがベースになっているお話(孤独死したおばあちゃんは腐ってしまって河童のような姿になっていたのだろう)。

姉ちゃんは、新興宗教かマルチ商法にハマっているらしい。作品では明確にはならない。でも、その組織から買った「なんかイイ水」を大切に持っている。そして、これが原因で父(作品では出てこない)から暴力を受けているらしい。姉ちゃんは、新興宗教だかマルチだかに何かしらの救いを求めている。

僕は、想像のおばあちゃん(河童)と過ごすのだが(そして、しがらみから助けてくれるのだが)、おばあちゃんは唐突に去ってしまう。←多分、現実と向き合うという葛藤なのだろう。

親戚一同が、面倒をみず、孤独死に追いやってしまったおばあちゃん。
なんとか、向き合いたい。でも、今までの自分の軽薄さへのうしろめたさと親戚一同への嫌悪感で向き合うことができない。姉ちゃんも、「イイ水(組織)」への疑問があれど、立ち切れない。

それでもおばあちゃんと向き合いたくて、おばあちゃんに乗せてもらったバイクの想い出にのって、追いかける。追いつかない、追いつかない。
だから、これまで自分を縛り付けていた「うしろめたさ」や「(軽率な)救い」と向き合い、それらを捨てて身軽になると、バイクのスピードが上がる。…そして。

・・・みたいな。わたしの解釈なので、違ってたら関係者の人すみません。

ツライことはあるさ。「ああしておけば、こうしておけば」はあるさ。でも、前向いて生きていこうよ。みたいな、そういうメッセージを受け取ったような気がしています。


(ちょっと真面目っぽいコト言います。)演劇の構成要素と観客のこと■

で、で。ここからが、ちと、大事…。

思うんですよ。演劇って、って。

演劇って、3つの基本要素があると言われているのです。その3つが、「空間」「俳優」「観客」。人によっては(本によっては、でもある。)、「空間」が「脚本」に変わったりもするけれど。

観客と俳優が存在すればそこが「空間」になるわけだし、インプロ(即興劇)とかもあったりして、「脚本」は存在しなくても良い、という考えもあるので、この2つは作品性とかどこに価値を見出すかによって変わってくるのだと思うのですが。
あと、「演出」というのも入ったりするけど、演出を立てずに構成していく演劇作品もあるので、これも同じく。

多少、第三の要素としては入れ替わることもあるけれど、絶対的な基本要素としては、「俳優(=演じる者)」「観客(=それを観る者)」が必要なんです。演劇には。

当然、劇場で作品を観るとき、観客はチケット代を払って席に座ります。2500円とか、作品によっては8000円とか、もっと払うこともある。でも、演劇の構成要素として「観客」は必要不可欠なものでもあるのだ。と。

これってすごくないですか?
観客は、文字通り、客(=サービスを受ける側)であり、その一方では演劇の一部(=サービスを与える側)である。

これってすごくないですか?
『客席に座って作品をただ観ている自分は、この作品の一員である。』ていうのって。

演劇って、作家、演出家や俳優だけでは成り立たなくって、最後のエッセンスとして「観客」が加わることによって、その瞬間の作品が完成するんです。やっと。

これって、すごくないですか?

なので、わたしは基本的に、作品を観るときには『自分もこの人たちの作品の一部である』ということを思いながら客席に座ります。でもやっぱり、これまで生きてきた価値観や好みもあるから、できるだけ、自分が力を貸せるだろう作品の客席へ座るようにしています。

だって、舞台に立つとわかるんですもの。今目の前に座っている観客が、どのくらいこの作品を好きなのか。とか。
俳優も、スタッフも人間ですから、誰かから好きになってもらえるとパフォーマンスは上がるんです。その逆も然り。

わたしは、できるだけ良いパフォーマンスの俳優がみたいし良いパフォーマンスのテクニカルをみたいので、それならわたしもこの作品を一生懸命みよう。と思うのです。だってその方が良い作品に出逢える可能性が高くなるんだもの。て。

あとね。
作品を最大限に楽しむためには、自分のあるべきゴールに収めようとしないことです。

あなたはわたしではないのです。
これまで生きてきた環境も違うし、教わったことも違うし、食べるものも違うし、好みのタイプも違えば大事にしてることも違う。それなら、同じものを見たとしても、解釈や感じ方は当然違うのです。

世の中には、おもしろくないものって存在しないんじゃないかなって思います。
ただ、誰かがおもしろいと感じるものを、自分がおもしろいと思えるだけの知識と経験と教養が足りないだけなのです。
おもしろいものをおもしろく感じないってすごく残念なことですよね。だし、「おもしろい」は多ければ多いほど、人生得した気分になります。というか、絶対得です。

今、現在では「おもしろくないなぁ…」と思ったとしても、いずれ時間が経てばおもしろさがわかるかもしれません。それは、自分次第

損したくないから、今の自分ではおもしろさがまだわからないことでも、自分の価値観で塗り固めようとせずに、わからないならわからないなりにきちんと包んで心の中に留めておくことをおすすめします。強く。

■最後に、ニーチェがこんなこと言ってたそうです。■


事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。』

うむうむ。なるほど。「深い~」ですよね。

2019年3月。劇団大阪新選組さんの舞台に出演します。

ぽちょぽちょとお芝居の予定が入ったり入ってなかったりしています。
今年もどうぞごひいきにー。
(今年…今年度?あしたかぜ、やるぞ。やるぞ。意匠制作中。。。!乞うご期待。。。)
というわけで、まず一本目のお知らせをしておきます。
短編3本のオムニバスで、うち、1つの作品に出演させていただきます。


劇団大阪新撰組 第40回公演 
『短編まつり2 ~屋根裏EXPO 2019~』
あなたのつぶやきが世界をつくるかも?
もしもしも・・・貴方のひと言が世界を変えるとしたら。
貴方はどんな言葉をつぶやきますか?
たくさんの応募の中から今回は
「SNS」
「屋根裏」
「EXPO」
の3つのつぶやきより世界をつくってみました。
「おそうじ部屋」
作・演出:日高良基
「彼女はバベルの塔に、いる」
作・演出:南田吉信
「超いいね!」
作:中島忠靖 演出:栖参蔵
《日時》
3月1日(金) 20:00
3月2日(土) 15:00/19:30
3月3日(日) 11:00/15:00
受付開始は開演45分前。
開場は開演の30分前。
途中休憩はありません。
短編3本を一挙に上演します。
《料金》
前売 2,500円
高校生以下 1,500円
当日 2,800円
《場所》
ウイングフィールド
大阪府大阪市中央区東心斎橋2-1-27 周防町ウイングス6F
《出演者》
南田吉信、阿矢、古川智子、下村直裕、日高良基、本多信男、中村ゆり(魚クラブ)、つぼさかまりこ(演劇集団あしたかぜ)、古川裕扶子(劇団演陣)、荒木ヒロ(劇団乱れ桜)、灰冶、上西秋穂、GIDEON
※つぼさかは、#2「彼女はバベルの塔に、いる」に出演します。
《予約》
http://ticket.corich.jp/apply/96704/008/(つぼさか扱い)
《スタッフ》
【舞台監督】小林敬子(CQ)
【音響】笠木健司
【照明】溝渕功(compana)
【舞台美術】久太郎(AnahaimFactory)
【宣伝美術】〈イラスト〉高島奈々(七色夢想)
【宣伝美術】〈デザイン〉勝山修平(彗星マジック)
【制作】GULIVERBROS./堀川希絵(Office.P・T企画)

2018年12月10日月曜日

『底なし女とパリの狂人(ロイン機関、構成・演出:丑田拓麻)』をみたよ。

先日、大阪の小劇場、浄土宗應典院本堂にて、『底なし女とパリの狂人』という作品をみてまいりました。

感想、は、特に上げるつもりはないです。観たものに関しては。
覚え書きと、そこから派生する思考のまとめ的な話です。
ま、ちょこちょこ触れるとは思いますが。

ただ、書き進めてるとえらい長くなってしまったので、
まずこの記事では作品の概要的な話にとどまるんだろうと思います。


さて、冒頭の通り、みました。
ご覧になってない方のために、ざっくりと、あらすじを説明。
(関係者の方、間違ってたらすいません。一観客の解釈です。)

主人公は、中年小太りの女性・・・や、グラマラスな熟女。
23歳で結婚すると思ってたけど、気づいたら35。
まわりが寿退社していく中、上司たちからからちくちく結婚のこと言われて気まずくなって、「海外で挙式をした」と嘘ついて当てもなく退社。

それに関して親からちくちく言われたので「実は起業した」とまた嘘をついてやり過ごす。
暇を持て余してハンドメイドで物販するが軌道に乗らず、
「じゃあ既成のものに手を加えて売ろう」となって、染めた布で時計を作ってなんとなく成功する。

でも、一人での作業は手が回らず、ふと見つけたチラシを見て、ある会社に受注を頼むことにする。
その会社へ向かう途中、主人公は穴に落っこちて、落っこちた先にその会社がある。
そこで働くのは、他とはちょっと違った特徴(欠点?ハンディキャップ?)のある、動物たちでした。

その動物たちは、特徴を活かしてまじめにはたらきます。
しかし、その特徴で、他の人たちよりも生産性がない。穴の上の人間たちが納める税金で何とか生活をしているのでした。

そこで仕事を教え、動物たちと過ごしている間に信頼関係が生まれ、居心地の良さを得る主人公。

ある日、事件が起こります。
そこで働いている動物の1匹(アヒルなので1羽)が、穴の上に住む心ないコドモに殺されてしまいました。

裁判になりました。
「穴の上のコドモは普段はとてもいい子でこの先の未来がある。でも死んだアヒルやそこで働く動物たちは圧倒的に生産性がない。税金で生活している、搾取している。だからコドモは罰しません。」
抗議しようとしますが、動物たちは人間でないので発言権はありません。
どうすることもできない動物たち。

「このことを世にわからせるために(?)、このことを絵本にします。」
と、そこで働くトカゲが言いました。

いずれ、穴の上も穴の下もなく、平等に、差別なく生活できる世の中になるために。

・・・・・・という、物語。
を、書いたトカゲさんが、受賞(したのかな?発表のセレモニーかな?)のスピーチで、絵本について話している。のを、視覚化している、ていう構造。

なので、本来の主人公でいうと、トカゲになるのかな。語り、という点では。

いずれ、この「行って帰る」系のストーリー構造についても触れたいところですが、
これもまた長くなりそうなのでまた後日。


演出家の丑田くん自身が、
ホームレスの方が働く「内職センター」に仕事をお願いしたという経験があるそうで、

『偏見』から入ったものの、
居場所のなかった自分に話しかけてくれた方がいて。
その話に感銘を受けて、できあがった作品のよう。(←推測です。)

いわば、
その人に対しての「感謝」「いとおしさ」の作品であるのだろうし、
「何とかしたい、してあげたい」という意思や、
「知らなければならないことだ」という使命感、みたいなものが
作品の根底にはあるのかなと、感じました。

こういう、誰かピンポイントに対象が居たり、何かに突き動かされてつくりあげられる作品。て、悪くはないなぁ。と思います。

実際、わたしも作品をつくるときには、「誰かひとり」に向けて書くし、
「ラブレター」だと思っていますし。ラブレターより心込めるけど。←

たくさんの人にみてもらうために作品づくりをするのだけれど、
たくさんの人のためにつくると薄まっちゃうところもあるので匙加減は難しいですよね。

でも、「あなた」のいない作品は、まったく意味がないよね。と思う。
そういう意味では、この作品を演劇として発表するのは、
彼の中でも大きな意味があったのだろう。と、感じました。(←結局感想ぽくなるわたし)

2018年12月9日日曜日

カテゴライズってお客さんが好きな演劇見つけるのに結構重要な気がする

「演劇」と一括りに言っても、さまざまジャンルがあるわけです。
もっと言うと、「演劇」と「芝居」も違う。「舞台」と「ステージ」も違う。

たとえば、大きなところで言うと、
・商業演劇
・小劇場演劇
・大衆演劇
・伝統芸能
とか。

その中にも、
・古典演劇
・近代演劇
があったり、

・エンタメ系(エンターテイメントとエンタメ系は違う。)
・コメディ(コントとコメディは違う。)
・ストレートプレイ(会話劇の意ですが、ストレートプレイと会話劇もおそらく違う。)
・新劇
とか。

・不条理
・アングラ
・小劇場系(小劇場と小劇場系演劇は違う。)
とかとか、

・リアリズム
・シュールレアリスム
・セカイ系
とか、構造的なことも含めるとえげつないくらいのジャンル分けがある。

これ、一つの作品に一つずつ当てはまるわけでないのがむつかしい。

商業演劇―近代演劇―翻訳劇(輸入劇)―ストレートプレイ―不条理 みたいな感じで、
色んなものに当てはまっていく。たとえば、ベケットとかイヨネスコとかを、パルコとかが上演するイメージしてカテゴライズしてみている。

既存の作品とかだと、こういう風にカテゴライズすると、
「だいたいこんな感じ~」ていうのがまずまずわかりやすくなりますよねぇ。

なんか、生物をカテゴライズするときに、
○○界〇〇門○○網○○目○○科○○属○○科ってわけていきますよね。

この感じで演劇って分けられないんかなぁ、ちゃんと。て思ったのです。


というのは、
演劇の良さ・魅力は、「同じ空間に人が集まって、共有できる」ことだったり、同じものができない「一回性」だったり、その空間を共有できる人には限りがあるっていう「限定性」とか。
あと「臨場感」・・・というか、「近くでその人が感じられること」だと思うのです。
「熱」が伝わる、というか、「体温」が感じられる、というか。

でもその一方で、劇場でしか見られないっていうのがデメリットの一つになりえるというのも事実です。
(最近映像配信も多いけど、やっぱり映像は映像なのです。)

「チケット買ってみてみたけど、なんかイマイチやったなぁ・・・」てなることもあると思うんです。
映画とか、ご飯食べに行ってもそういう経験すること多いけど、
映画は1800円。ご飯も1000~2000円くらいの出費だし、
相当気にいらなければ途中で出たり、お残しして帰ることもできます。自由度が非常に高い。

一方で、演劇って、「お残し」がめちゃくちゃしづらくないですか?
特に小劇場演劇だと、一回入ったら外に出るの大変すぎるし、
実際問題、対応できるスタッフが居なかったりする場合もあるかなと思うのです。

あ、もちろん、劇団サイドで手配してる人はいるんですけど、
「お手伝いの人」みたいな意味合いが強くてあくまでも「プロ」ではなくて、対応が遅れてしまったり、周りの人への配慮が不十分だったり、往々にしてあるかなぁ。と。

と、言いますか、本来、演劇の性質上、途中退出が基本的にほぼゼロなので、
単純に長けてない。てこともあります。
途中退場OKとか、大々的に宣伝してるところはその限りではないと思います。


お客さんの方も、できれば最後までみたいと思う気持ちはあれど、
「もう、どーーーしても自分に合わない」てなった時、客席で我慢してなきゃいけない、てことになりますよね。

これって、すごく不健全。

でも、「途中退場全然OKですー!」てなっても、
やっぱ他のお客さんの集中途切れてしまうのは、よろしくないのです。うれしくないのです。

じゃあ、どうしたらいいか。

「途中退場の必要がない状態にすればよい。」てことですよね。

これってどういうことかというと、
「最後までみたい作品」であることが必須なんです。(まぁ、体調崩したとかは仕方ないとして。)

良い作品をつくる、のは、大前提としてあります。もちろん。
というか、「うーん。これ、良くないなぁ」と思って発表する団体はないです。普通。

すごく力のある演出家が、力のある俳優を集めて作品をつくっても、
やっぱり合わないっていう人がいます。

好みや価値観は人それぞれなので、仕方ないことではあるのです。

これって、「お客さんが、お客さん自身の好きな作品を引けなかった」と言い換えることもできます。
「運が悪かったなぁ・・・」で終わらせられる器の大きい人であればいいですけど、
「わ!損した!!」てなってぷんとしちゃう人も当然いらっしゃると思います。(←わたし結構こっちがわ。)


じゃあ。・・・と、話が戻ります。

自分の好きなジャンルの作品が、ちゃんと選べる。というシステム体系があれば、
こういう事態も少なくなるんじゃないかなぁ。と。

で、演劇はじめてみた方も、『「〇〇目○○科」のジャンルの作品はダメやった。』とか、理解できれば、

『はじめてみた演劇がおもしろくなかったから、演劇はもう一生みない』てならないと思うんですよね。
↑これ、実は結構多いと思うんです。演劇って色々で、面白い作品は星の数ほどあるんです。でも、入り口で失敗すると嫌になっちゃう。そんなんもったいないです。

好きなジャンルが見つかれば、そのジャンルの演劇を選んでみることができますよね。
好きなジャンルやから、みた後の満足感は大きくなると思う。
他に興味がわけば、すこし広げて「同じ○○目の、今度は○○科を見てみよう」てこともできるんじゃないかな。


発表する側にとって、客席のご意見ってとてもありがたいものなんです。
毎回、賛否両論あって。辛辣な言葉をいただくこともあって、勉強させてもらったりもします。

ご意見くださる方は、何らかの思いがあって(「次に期待!」とか「団体ガンバレ!」とか)のことだと思いますが、
本編中に嫌な思いをさせていたということでもあるかなと。

中には、「文句(厳しめの感想)をいうのも嫌!」と帰ってしまう方もいて。
その方は、家に帰ってもふつふつと、どこへも当てれない怒りだったり、不満を抱えてるわけで、

それは、いかん。

やっぱり、みるのなら満足したいし、お客さんにはいい顔で帰ってほしいのです。
「あー、みてよかった。」てなってほしいのです。(ハッピーエンドでもバッドエンドでも)

だから、お客さんが満足できるだろうジャンルの作品を選べるための、
カテゴライズ。体系化。

どうかなぁ・・・という。

・・・うーん、演劇界への提案。かなぁ。

これ、圧倒的に一人では無理だし、知識もなさすぎるので、
どうしたらいいかも全然わかんないんですけど。

こういうことがうまくハマっていけたらなぁ・・・・。と思うのです。

これに関して、良い方法やご意見あれば、ぜひ聞かせてください。
多くの人が、もっと演劇を好きになったらいいなぁ。と思うんや。

2018年10月24日水曜日

子ども向けの演劇も、なかなかおもしろいよ。という話。

この記事、ほんとにぜひ読んでいただきたい。

↓↓↓

観劇に出かける親子は驚異的に少ない。メリットだらけの演劇鑑賞、しないなんてもったいない!

『StudyHacker こどもまなび☆ラボ』


演劇って、「くらいよせまいよこわいよ~」ってなるから
なかなかお子さん連れだとハードルが高いように感じるけど、
家族向けの演劇とかもけっこう多いし、広がっていけばすてきやなぁ。

音大出身の知り合いで、
ミュージカルのサークルみたいなのに入ってる人がいるんですが、
以前その人の舞台を見に行ったことがありました。

対象年齢0~6歳。
3匹のこぶたと白雪姫のお話をミックスさせたような作品で、
歌ったり、こどもと一緒に踊ったり、会場全体がすごくあったかい雰囲気で感動した。

その後、ご縁があって和歌山で子ども向けの舞台に参加させていただくことになり、
人生初、着ぐるみちゃんと共演する機会がありました。
その作品は、赤鼻のトナカイをベースにしたような作品でした。

なかなか友だちができなくて、唯一の友だちは黄色いトナカイのぬいぐるみ。
「この子がいるからいいもん!」ってなってるところ、トナカイの世界に紛れ込んで、
その世界では、黄色いトナカイちゃんがしゃべったり、動いたり。
でもどうやら、自分の体が黄色いことで周りのトナカイたちからいじめられている。と。
そこで、サンタさんに会って、体の色をみんなと同じにしてもらおうという旅が始まる。

途中、オオカミに襲われたり、喧嘩したりするんですが、
最後は見に来てくれた子どもたちと一緒にオオカミを退治して、仲直り。めでたしめでたし。

作品の中で、3曲くらい踊るんですが、
見に来てくれた子どもたちも一緒に踊ってくれるの。かわいかったなぁ。

全部が初めてのことだったので、少し大変やったけどとてもとてもいい経験になりました。
価値観が広がったなぁ、と、実感できた作品。


子ども向けに作られた作品でも、
意外とおとなになってからもめちゃくちゃ楽しめたり、新しい発見があったりする。

だから、演劇に関わっている人もぜひ積極的に見てもらえたらうれしいなぁ、と思います。
ジャンルを越えて。

・・・子どもがいてなくっても。笑

2018年4月5日木曜日

職業的○○と協力的○○の圧倒的違いについて

つぼさかは激怒した。

否、それほどではない。


でも、ちょっと引っかかったことがあるのでしたためる。
ホントは紹介したい舞台があったのでブログをアップしようと思ってたのですが、
別件の諸々でちょっと引っかかったので、内容を一部変更してお届けしています。

紹介したい舞台については、明日、改めて。


・・・これまで、特に、大阪に来てから言われ始めたことがある。


「で、結局、役者と照明どっちがやりたいの?」

逆に聞きたい。

「どっちかじゃないとダメなの?」



京都でやってたときは、
そんなこと言われたことは一回もないけど。


なので、角が立たないようにその時に合わせて答えてますが、
たぶん状況と人によって「意見のふらふらするよーわからんやつやな」とは思われてると思う。

でも、申し訳ないけど、どーでもいい。



もちろん、「お仕事ですから。」と割り切って、という場合ももちろんあります。
ありますが、そういう現場はどちらかというとキライです。



あれ。お芝居って、作品って、・・・・・・と思うのです。

そりゃ、「ガチガチにやりたいことが決まってます、だから全くこの通りにしてほしいんです。」ていう、スタンスであれば別の話ですが。

それはそれで、別に否定はしません。

「この値段の報酬をお支払いしますので、このくらいの仕事をしてください。」という相互の理解があるのなら、「お仕事」ですから。

「職業的お仕事」の価値観です。


でも、例えばね。
「こういうことがしたいんです。でも、お金がありません。」てなったらどうでしょう。

普通なら、
・そのお仕事を受ける前に報酬の交渉をして、相互の理解が得られる契約をする
・予算内でできる範囲の仕事を提案する
・断る
の3択ですよね。

その3択も選べない場合は、「お仕事」ですか?

「お給料もらうなら何でもかんでも、どんな条件でもお仕事でしょ!」ていう横暴な意見の人もいるかもしれませんが、
その、「お仕事」以上のものが得られる「別件」があったとしたら、どちらを選ぶかは当事者の自由ではありませんかね。

「お仕事」してない分の報酬は受け取らないんですから。
「お仕事」なんだったら、そんな言われる必要あります?

と、問いたい。


そういう「職業的な」お仕事に対して、「協力的な」お仕事について、よく覚えておいて欲しい。

報酬が十分でなくても、やりたい「お仕事」ってのは、世の中にいくらでもある。

人生の価値を、「お金」っていう指針で考えていない人、
もしくは「お金」を他の事柄と純粋に比較できる人は、「報酬」だけではお仕事を選ばない。

あえて、断言します。

例えば、「あなたの現場なら、ディスカウントしてお仕事を請け負います」みたいなこと。
個人的な関係性かもしれないし、「あなたの現場」に価値があるのかもしれないし、「あなたの現場にいる人」に価値があるのかもしれないし・・・

少なからず、「あなたの現場に投資する価値があると判断しています」ということ。
それが現金かどうかは、人生におけるそれぞれの価値感で変わるだろうと思う。
これ、すなわち「協力的お仕事」。


「協力的お仕事」ていうのは、関係がすごく希薄。首の皮一枚でつながっている状態です。
受ける側が、受ける側にとっての価値を見出せなくなった瞬間に終わる関係です。

その点、「職業的なお仕事」は報酬という確固とした価値があるので、なかなか終わりません。


そこで、今回の問題。

ある「協力的お仕事」よりも、他の「協力的お仕事」に価値を感じたとき、前者のお仕事の割合を減らしたときに、
誰が咎める権利があるのか。怒りを買うのはお門違いだと思うんです。

『前者は後者よりも、「価値」を見出す必要があった』というお話。


そして、でも、前者の協力的お仕事に対して、受注者は「協力したい」と思う気持ちがあって歩み寄ろうとしても、
それが互いにうまく行かない場合は、その歩み寄りも無意味になってしまうということ。

・・・厳密には、無意味にはならないのでしょうが、結局「ないがしろにされた感」だけが残って、結果的に受注者にとっての価値が下がることは間違いないということ。

2018年3月30日金曜日

人の骨は、しがんでしがんで味がでる③

作家・南出謙吾はほんっと頭おかしいと思う。
(あえて敬称略で呼ばせていただく。なぜなら語感がものすごくいいからだ!)

南出さんとお会いしたのは、お稽古を見に来てくださったときと、
あとは会場入りしてから、中日の朝の本番を見ていただいて、夜のリーディング。
の、2日。

でも言います。ほんっと頭おかしいと思う。

初めてお会いしたお稽古場では、
カチッとしたスーツを身にまとい、パソコンをぽちぽち、
何となく仕事できそう系の「偉い人」ぽい感じでした。

その「偉い人」感にびくびくしながら稽古を進めていたわたしたちを前にし、
「この脚本、変なので、テキストに囚われないでください。」
と言い捨てて颯爽と去っていったのです!(脚色してます。去ってません。)

脚本に囚われまくっていた座組み一同。
めちゃくちゃ厚い雲から光が差し込んだ思いがしました。(主観です。)

そして、つぼさかはつぶやいたのです。「演劇って、楽しいなぁ。」(これはホント。)

南出さんが来て下さった中日、お客さんを交えての小さな飲み会がありました。
そこではあまりお話できずだったのですが、
帰りの電車を待っている間の、南出さんの言葉は忘れられません。

「普段、あんまり飲まないんですよ。早く帰りたいし。早く帰って本書きたい」

どかーーん!!(心の中の音。)

(飲み会で)顔を真っ赤にして、そんなことを無垢に語る大人。
たまらん!むっちゃ好きだ!!

ものすごい、愛のある作品づくりをされてるんだろうなぁと。
南出さんの本には愛がいっぱい詰まってるんだと思わされました。

ところで・・・・。

今回、『みそ味の夜空と』を取り組む機会をいただいて、
初めて南出さん作品に触れることとなりました。

『みそ味の夜空と』という作品の第一印象は、
「スルスルスルっと入ってくる、軟水みたいな脚本」という感じ。
決して複雑なストーリーはなく、単純で、わかりやすい兄妹の話。

その中に、わかるかわかんないかくらいの、ちっちゃいちっちゃい小ネタがちりばめられている作りです。

スルスルっと読めちゃうもんだから、その小ネタが小気味よく、
読み合わせのときは、みんなで笑いながら進めていました。

でも、立ち稽古が始まったら、ちょっとずつ面白くなくなってくる。
お芝居が立ち上がったらペースが落ちて、
面白いタイミングでセリフが聞こえてこなくなるんです。

読み合わせではあんなに面白かったのに、
動きをつくると考え込んで、「整合性」に負けるんです。だから面白くない。

南出さんの作品に出てくる登場人物、少なくとも、『みそ味の夜空と』の人たちは、
ほとんど全員が脊椎で喋ってるんです。
だから突然ワケわからないことを言い出しちゃう。
その、人の「ワケわからない」面白さを、南出さんはうまく文字に起こしていて、
だから、何も考えずに読んでいたときが一番面白かったんだと思います。

お稽古の途中、終盤あたりになって、
「もう一度、ちゃんと読もう」と、台本を見ながら読み合わせをして、
“本来の面白いペース”を再確認したのも初めての経験でした。

演じる方も、脚本への最初の印象がめちゃくちゃ大事なんやと痛感したお稽古でした。

リーディング脚本『かばんの密度』と『ひとりぶんの嘘』は少し違って、
男性目線からと女性目線から描かれた一人称小説みたいな印象。

こちらも結構ストレートなお話で、スルスルっと入ってくるお話。

3作品に共通して言えるのは、
真っ直ぐ、そのまま、まっさらな状態で観たり、聞いたり、読んだりするだけで面白い作品ということ。

きっと、人が好きで、演劇が好きで、好きで、好きで、
好きがいっぱいある人なんだろうなぁ。と勝手に思っています。

それで、惜しみなく出し続ける作家・南出謙吾(あえて敬称略。語感。)はやっぱり頭おかしいと思う。

(※ディスじゃありません。めちゃくちゃ褒めてます。念のため。)

2018年3月29日木曜日

人の骨は、しがんでしがんで味がでる②

先日、無事終演をいたしました、黒電話プロデュース。
3ヶ月ちょっとという期間をかけて取り組んだ、『みそ味の夜空と』という作品について書いていこうと思います。

『みそ味の夜空と』、
ご覧いただいたお客さまから、色々な感想を頂戴しました。

「ちょっとおかしな人たちの」、などと表現されているのが少し目につきましたが、
わたし自身は、全くもって、全然、おかしいとは思いませんでした。

そこらへんにいる、普通の人たち。
わたしにはそんな風に見えました。

確かに、台本に書かれているセリフやト書きは、
一見、破天荒でワケがわからない言葉や、なぜこんなコトするのか意味不明だったりしました。


でも、普段生活してる中でも、
破天荒でワケがわからない言葉を使って喋る人、
意味不明な行動してる人、いっぱいいっぱいいませんか?

たぶん、そのうちの一人がわたしなんだと思います。

なので、わたしはこの脚本を読んで、
「作家の南出謙吾さんは、なんて、日常を切り取るのがうまい人なんだろう」と感じました。

舞台では、「少し特別なある日」「数日後」「その数日後」と書かれています。
日常のうちの、「少し特別なある日」とその日につながる「ある日」を切り取っているお話。

当然、彼、彼女たちには他の日常があるわけで、
その日はきっと、朝の満員電車に揺られて会社に行っていたり、お米を炊いたり、着ていく洋服に迷ったり、自転車のチェーンが外れたり、しているわけです。


でも、作品として表に出てくるのは「少し特別なある日」とその日につながる「ある日」のみ。
作品に表現されていない他の日は、知る由もありません。

感覚としては、普段、生活して誰かと過ごすのと、なんら変わりはありませんでした。


作品に取り組み始めてから、本番、舞台に立っている間、今現在に至るまで、
精神的な変化がほとんどないのは、そのためなんでしょうか。

実は、本番が始まっても、「本番って感じがしないなぁ」なんて、
他の俳優さんに漏らしていたんですが、
その理由が何となくわかったような気がしました。

いつも舞台に立つときのように、「気合満点!」な状態ではなく、
完全リラックスモードでの本番だったように思います。
喉が渇いたり、とか、体は多少緊張していたみたいですが、精神的な緊張はほとんどなかったように思います。


『みそ味の夜空と』終わって、今の率直な感想は、
「めちゃくちゃ仲のいい友達が一人増えたような気分」です。

こんな感覚、初めてです。

2002年に書かれて、現在まで15年以上、上演され続けて、
たくさんの人からの愛を受けてきた作品なんだろうな、と。

良き作品に出会えたなと、心から感じています。

2018年3月28日水曜日

人の骨は、しがんでしがんで味がでる①

そっこうで更新が途絶えてしまったのには、ワケがあります。
・・・3/25まで、小さな小さなお芝居の公演の本番がありましたのです。

で、この場を借りてお礼と感想をば、あげたいと思います。


「みそ味の夜空と」無事終演しました。
ご来場のみなさま、ありがとうございました!!!


大阪、十三というディープな街の一角、カフェスロー大阪という場所での公演でした。

商店街を抜けた先にある、小さな小さな空間ですが、
目一杯のあたたかさが感じられる場所です。

残念ながら、カフェスロー大阪さんは、今月を持って一度解散。
今後の見通しはまだ立ってないのだとか。
とても良い空間なので、公演したいという団体さんは多いようで、
「なんとか、貸し小屋として運営できるように、努力します、」とのこと。

そんな、「最後かもしれない」空間に立たせていただけるというのは、
ほんとにありがたいことで、
ご来場いただいたお客さんもほんとにあたたかくて。

実は本番中にほろりしてしまいました。

ほろりです。ポロリじゃありません。

・・・話がそれました。

お伝えしたいことが山ほどあるので、
記事を分けて記したいとおもうので、ここでは、まずお礼をば。


その週には、他の劇場でも多くの公演がやられていた中、
わざわざ足を運んでいただいたお客さま。

ほんとうにありがとうございました。

わたしたちは、お客さまがいるから、舞台に立てるのです。
今回の公演では、そのことを改めて実感することができました。

そんな気持ちを思い出させてくださって、ほんとうにありがとうございました。

そして、機会を与えてくださった、演出家(初演出!おめでとうございます)。芦川諒さん。
脚本を提供してくださった、common days・りゃんめんにゅーろん・らまのだ(肩書き多い!)、南出謙吾さん。

気付いたら、座組みで一番付き合いが長かった、真面目で信頼できる女優さん、水木たねさん。(「北摂の野良役者」!初共演は恋人役でした。)

絡みはなかったけど、やさしく接してくださった、西村朋恵さん。(気付いたらゼロ距離にいてくれる!秋田弁ラジオ体操楽しかった。)

公私ともに、面倒見てくれるやさしいお兄さん。白石幸雄さん。(くりくりお目めが超かわいい。お稽古場を明るくしてくれるムードメーカー。)

同じく、あんまり絡みはないけど、真面目でやさしいお兄さん。阿形ゆうべさん。(へらへらしてるようで真面目。おしゃれ番長!)

リーディングでお力添えいただいた、中野智佳子さん(しろみそ企画)、松浦由美子さん、山本祐也さん(りゃんめんにゅーろん)、成瀬トモヒロさん(ナルセケ)。

感謝。感謝。感謝。です。


あんまり、お芝居ロスにならないほうだったのですが、
公演終わって3日経っても、まだ少しロス気味です。

しばらくこの公演について、ブログ書き溜めようと思います。