2018年9月26日水曜日

こうやって色んなものが開発されんだろうなぁ、て話。

一時期サイフォンで淹れていたほどコーヒーがすきなわたし。
あんまり言ってないけど紅茶もけっこうすきです。

先日(めちゃくそ前)いただいたLUPICIAのフレーバードティーを飲みました。おいちい。
ココナッツ、バラ、イチゴのブレンドされたキャロルってやつ。ご察しの通り、クリスマス仕様です。
「まだ残ってんのか!!」と思うけど、紅茶って一人で飲むのは贅沢すぎる気がして、なかなか普段使いできないんだもん。
そんで、貧乏性も甚だしいけど、“差し湯”して飲むのもすきなんだ。
風味と渋みがほんのり残ってる感じもなかなか良いのです。

ところで。

そのいただいた紅茶、ギフト仕様になってるやつでティーハニーとセットになっている。
説明の必要もないと思うけど、紅茶に合わせたハチミツです。あまいの。

このティーハニーは、キャロルの紅茶を漬け込んで作られたらしく、ココナッツ、バラ、イチゴの香りが感じられる。そしてあまい。

紅茶もティーハニーも、ベリー系のチョコみたいな香りでとても癒されるのですが、
わたし、残念ながらあまいものが苦手です。
コーヒーは断然ブラック、紅茶は断然ストレートな派閥なのです。

したがって・・・ティーハニーが全然減りません。

香りはとてもすきなんですけど、すきなんですけど、
なんせあまいの。口の中もっちゃりするの。

チョコもコーヒーも紅茶も、基本的に香りを楽しむ系のものだと認識しています。

紅茶に関してはきちんと調べたことはないんですが、
カカオ(チョコの原料)とか、コーヒーの香りには,
「ストレス解」「リラックス効果」「集中力アップ」「リフレッシュ効果」などなどなど、
健康面でも非常に大きな効果があるらしい。

これらの効果は是が非でも取り入れたいと思うわたし、
チョコもできれば食べられるようにになりたいなぁ(や、食べられないわけではないんですが)と思うわけです。

それで、タイトルに戻る。
「こうやって色んなものが開発されんだろうなぁ」です。

口の中もっちゃりするのは嫌だけど、チョコ感が欲しい。的な。
実際、無色でいろんな味のするお水も最近目にするようになりましたから、
「甘くなくて」「口の中もっちゃりしないチョコ感のある何かもそのうち開発されるんでしょう。

けど、チョコは実は栄養素とか見ても結構おりこうさんなので、
普通のチョコ食べるが一番いいんでしょうけど。

以上、お味のついたお水は苦手なわたしがお送りしました。

2018年9月24日月曜日

最近のNHKの攻めがおもしろい件。

タイトルの通り、
最近のNHKの攻めっぷりは非常に好感がもてる。

さっき、だらだらと見てたら、再放送でしたが、
同性愛者のタレントと弁護士、全盲の弁護士と、
トランスジェンダー(女→男)のアイドルグループと千原ジュニアさんで、恋の話してた。

その中で、
障害者に性欲があるとわかるとひかれる、という話をしていて、

それに対してゲイの弁護士さんは、同性愛者は性欲がめちゃ強いと思われてる、と。

これ、わたしの知り合いも言ってた。

以前、同性愛者ってことを知らなくって、
ヘテロ前提でいじってたら、
その日飲みに行ったときにカミングアウトしてくれたことがあった。

知らなくって、無神経にいじってごめんね、て言ったら、
慣れてるから、へいき。て言ってくれた。
慣れてる、ていうのに少し胸がきゅっとなったけど、
カミングアウトしてくれた後、好きな男性のタイプ談義が盛り上がってすごく楽しかったのを覚えてる。

ゲイ、レズってことを同性の友人にカミングアウトすると
めちゃ警戒されるのがホントやだ、ならしい。

そりゃそうだ。こっちにもタイプっちゅーもんがある。
勘違いしてんじゃねーよ、だよなぁ。

それって、
男の人は「女だったら誰でもいい」、
女の人は「男だったら誰でもいい」って思ってるってことと同義ということ。

・・・まー、あながち間違ってないか。←

や、冗談です。

とにもかくにも、さらっと冒頭でも触れたように、
NHKでゲイの弁護士とレズのタレントとLGBTのアイドル、それから全盲の弁護士が、
性的マイノリティーと障害者の恋と性的指向の話してるのはほんとにおもしろかったなぁ。

レズのタレントが最後に「まさかNHKで谷間が出せるとは思いませんでした」て言ってたのにつぼった。

うむうむ。
このままいい感じにひろがってけばいいなぁ。

2018年9月23日日曜日

つまらないことから一所懸命『言葉』について考えてみた。

比較的、ケチャップは好きじゃありません。

サンドイッチを頼んだらポテトとオニオンフライがついていて、ケチャップとマスタードが添えられてました。

実際ケチャップはそんなに好きでなくて、
というか興味がなくて、
入ってりゃ入ってるで別にいいし、
添えられてるならあえて使うこともない。という存在。

「比較的、ケチャップが好きではありません」て言葉から始まる文章をアップしようと思い立って、今。

どうやら、そういう、文章を考えてみるという遊びがすきなよう。

ところで。

「比較的」って、何と比較したときの話なのか疑問に思ったので、調べました。

比較的…一般的な基準と比べて考えてみるさま。わりあい。

ちなみに、
相対的…他との関係において成り立つさま。また、他との比較の上に成り立つさま。

だそう。

つまり平たく言うと、

「比較的」は、一般的な基準(と自分が信じているもの、要は主観)が比較対象で、
「相対的」は、明確なデータや事象、その他の『何か』が比較対象。

ということですね。

なるほど。

主観に基づく言葉ってなんてあやういのかしら。と思う。

日々、新しく生まれて廃れてゆく言葉たち。はかない。
きれいにつかわなくっちゃなぁ。

2018年9月21日金曜日

思い立ったが吉日。お彼岸と故郷のはなし。

やっぱりブログはほったらかしになる。
思い立ったが吉日、ということで、更新してみる。雑談。


話題としてはちょっと古いですが…。
https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/awaodori-20180815_a_23502463/


今日、うちのおばあがお墓参りで朝早く旅立ちました。
おばあの田舎は「徳島」。
徳島といえば、「阿波踊り」ですな。

毎年お盆の時期に盛り上がる「阿波踊り」、
フィナーレだかで全踊り子団体が一堂に会する「総踊り」がすごい盛り上がるわけです。

ただ、今年2018年は、「総踊りを中止しなさい」という市からの通達が来たそう。

ニュースやら、記事をななめ読みした感じからすると、中止の理由は、

・総踊りのときは人が集まりすぎて小さい子とかが危ない。
・総踊りにお客さんが取られて赤字の会場がある。

ということらしい。
後者の、「有料観光客の分散」が主な理由っぽい。

毎年この時期は120万人越えの観光客が訪れるそう。

「そんなに観光客が来るのになんで赤字になるんや!」とか、
「収益がどこそこに流れてるんちゃうんか!」とか、
記事についたコメントを読んでると、なんとなく黒い背景が見え隠れもしますが、

地元の人にとっては正直、赤字どうこうよりもお祭りごとのほうが大事なわけです。

そりゃそうでしょうよ、
生まれてからずっと続いてた「総踊り」、

『大きくなったらここで踊るんやい!』と思って過ごして、
『メインストリートで踊れるように練習がんばるぞ!』と思って過ごして、
急に「中止です」はないやろう。てなりますわな。

6月だか7月だかにニュースで流れて、
うちのおばあが大変さみしそうにテレビを眺めておりました。

わたしは地元民ではないので、「あー、そうなんやー」くらいで見てましたが、
やっぱり地元の人のつらさは図り知れません。そりゃさみしいでしょうよ。


結果的に、阿波踊り振興協会の方々を中心に総踊りは強行され、
あまりに人が集まったために市の職員さんも止めれず…となったようです。

当事者ではないのでどちらがどうこうという意見を出すつもりはありませんが、
まぁ…、どうなんでしょね。

それはさておき、今度は公式に、「総踊り」を決行するのだとか。

9月24日。あわぎんホールで13時と15時の2回、藍場浜公園で16時半からですって。
ホール公演はキャパがあるので見れませんが、藍場浜公園は観覧の申し込み不要みたい。雨天中止。
会場では西日本豪雨被災地支援の義援金を募るそう。うむうむ。


さすがに直近過ぎて見ること叶いませんが、心動いたので取り上げてみた。
こうゆうのもたまにはよかろう。

2018年7月9日月曜日

自己嫌悪に陥っているあなたへ。こころのはなし。

オシゴトのはなしに続いて、こころのおはなしも少し。

わたしの周りの「自殺者」、「自殺志願者」または「予備軍」な方たちに共通して言えるのが、
「自己嫌悪に陥りやすい」という性質を持っているということ。


「なぜ、自己嫌悪に陥りやすいか」ということを考えてみたいと思います。


挙げられる理由は、大きく言うと次の3つじゃないかと推測されます。

・自己評価の低さ
・自己暗示
・混乱


簡単に言うと、

「自己評価の低さ」は「自己肯定感が著しく弱い」と言い換えることができる。
さらには、「承認欲求の強さ」に繋がること。


「自己暗示」は、「自分は何をやってもだめだ」とか、「どうせうまくいかない」とか、
何かをやる前に自分に『できない暗示』をかけてしまうこと。


「混乱」っていうのは、状況のよくない場面に遭遇したとき、対処の方法が見出せないがために
『自分を責めるしかない』状態になっていること。


ちなみにこれは、わたし個人の意見であって、専門的な見解ではありません。あしからず。


先日の友人のはなし。
彼女は、「上司に言われた通りやったつもりやけど全然できなくて仕事がボロボロだ」で、
「『わかったふり』してる、『責任感がない』と上司に見られている」と言っていました。


これは問題だなぁ、とわたしが思ったのは、
彼女が落ち込んでいる原因が、
「仕事がうまく行かなかった」ことよりも「~~~、~~~と上司に見られている」ことが大きいということ。


自分のことをマイナス評価されるのを極度に怖がるあまり、
パフォーマンスを落とす結果になってるんじゃないかなぁ。と。


基本的に、「承認欲求」というのは誰しもが持っているものだと思います。程度の大小はあれ。

だって褒められたいもの。好きになってもらいたいもの。
怒られたい、嫌われたいと思って生きてる人なんていないでしょう。居てもかなり少数派です。


この、「承認欲求」が強すぎると、
「わたしはこんなに頑張ってるのに、なんでわかってくれへんの!」みたいなことになっちゃう。


でも、わかるわけないんです。
他者他人のスキルレベルとか、これまでの努力とか、明確に理解・判断できるような人なんかいてません。
ていうか、居たら紹介してください。


わからないから、
例えば「お前はもっとできる子や!」とか、「この子は伸びるはずや!」とか、過度の期待を押し付けて結果的に相手を潰すことになったり。

例えば、性質に合わない仕事を押し付けて結果が出ないことにイライラしたり。てことになる。


正直、押し付けられた方としてはいい迷惑ですよね。

なんでアンタにそんなこと決められんとあかんのや、と。(口が悪いですね。)


自分のことなんて、わかってもらえるわけはないんです。
逆に、自分のことめちゃくちゃ知ってる誰かが居たら、わたしは怖すぎて警察に行くでしょう。


自分がどのくらい努力してきたか、自分がどのくらいサボったかは自分しかわかりません。

「結果」という指針は絶対的に必要なものではあるけど、
「結果」が出ないことに対して叱咤されるならまだしも、「手を抜いてる」とか「やる気ない」とか、何を基準に判断してるわけですか?って思います。


例えば部下を使って仕事を進めるとして、「結果」が出ないのは全て部下が悪いのでしょうか。
答えはNOです。
采配ミスである可能性はないのか。指導が不十分である可能性はないのか。指示が不適切だった可能性はないのか。


今、考えなくてはいけないのは、「どうすれば結果が出るのか」という道筋です。
状況をきちんと見て、原因を洗いだし、対処していかなきゃいけない。


これがないがしろになっていて、いわば「責任の押し付け」みたいになると、
「全部自分が悪いんや」っていう自己暗示をかけるようになるんです。


自分が悪いと思いこむのは、ある程度まではとても「楽」です。
でも「結果」が要る場面ではとても邪魔になります。混乱を招いて、結局自分を責めることにしか脳が使われなくなってしまい、「結果」を出すことはできません。


自己暗示の力ってバカにできなくて、だから数々の起業家の本が売れるのです。マインドを知りたいから。実際読むと、むちゃくそ面白いですし。


サッカー日本代表、ベルギー戦ご覧になったでしょうか。おもしろい試合でしたね。
これも、日本が負けてしまったのはマインド面がかなり大きく影響していると思います。


後半、日本が先制したときには「これはいけるかも?」という気持ちが膨らんで、いけいけどんどんモードになり、2点目を取りました。
しかしその後、パスミスからボールを奪われて、まさかのゴール。続いてまたゴール。
さっきのいけいけどんどんモードから、「やっぱりダメかも」という精神状態になっただろうと思います。そして、最後、ものの9秒で逆転され、敗退しました。

いけいけどんどんモードに入ったら、結構なんでもうまくいったりするってことはよくある話です。
逆に、「ヤバイかも・・・」という精神状態だと、失敗することは多くなります。


人の人生って、今ではだいぶ寿命も延びましたけど80年しかありません。
自分を責めてるときは、脳が止まっています。前にも後ろにも進むことができない。

ハッキリいって、「無駄」です。


立ち止まって道を探すなら良いけど、結果的にどちらにも進まないならその時間をどぶに捨てたも同然。
前に進めなきゃ、後ろか、横によければよいだけのこと。そちらを向けば、「前」になります。


「誰かにこんな風に見られてしまうのがコワイ」のは、なぜでしょう。
その人は、人生においてそれほど重要な人でしょうか。
そもそも、本当にそんな風に見られているのでしょうか。どうやって判断すればわかるでしょうか。

そしてその人に「こんな風に見られたい」と期待してしまうのはなぜでしょうか。

他者他人に自分のことを理解してもらうことは不可能です。
自分のことを知ってるのは、自分だけです。

では、なぜ一番理解している自分が、自分のことを責めてしまうのでしょうか。
なぜ自分は、自分のしてきた頑張りを褒めてくれないのでしょうか。

自分のことを本当に理解して、本当に褒めてあげられるのは、自分だけです。
他者他人にはわかるはずのないことを期待しても仕方ありません。

他者他人にわかってもらうためには、伝えるための努力をしなければいけません。
そして、その努力をしても、100%実るとは限りません。(伝える努力はとても必要と思いますが)

じゃあまず、100%自分を理解している自分が、自分を褒めてあげればいいのになぁ。

何度も言いますが、自分を褒めてあげられるのは、自分だけです。

自分が自分を否定してしまったら、
自分を本当に理解してくれる味方はこの世界から一人も居なくなってしまうことになります。

じゃあ・・・、

冒頭のおはなしに戻るわけです。味方がいなくなると、残された道は限られています。

ここまでを踏まえて、聞きます。
「あなたは、自分を褒めてあげますか、褒めてあげませんか。」

自己嫌悪に陥っているあなたへ。オシゴトのはなし

いきなりですが、
わたしの周りには「自殺者」、「自殺志願者」あるいは「予備軍」が多いように思います。

誰かと比較してデータを出したわけではないので、はっきりとしたことはいえませんが、
人生の中で出会うことがなかったという方もいると思いますので、
それを考えるとまぁ、多いのだと思います。

なぜ、冒頭からこんな話をするかと言うと、
「自殺」と「自己嫌悪」は、ある程度近しい位置にある(と判断している)からです。
朝っぱらから暗そうな話。すみませんね。


昨日の晩、SNSを眺めていたら、大学時代の友人がひどい自己嫌悪に陥っていました。


いわく、「上司に言われた通りやったつもりやけど全然できなくて仕事がボロボロだ」と。
そして、「『わかったふり』してる、『責任感がない』と上司に見られている」と。


仕事がうまくいかずに落ち込んでしまうことなんか、よくあることです。
にんげんだもの、
ミスすることもあるし、タスクに合ったスキルが不十分であればうまくいくはずはありません。


「完璧な仕事」がこなせるにんげんはゼロです。だって無理だから。
機械でもミスするんだもの。にんげんがミスなく仕事できるはずないじゃんか。と思う。
より完璧を求めるなら、機械にやらせればいいんです。
その方がはるかに性能はいいはずです。ミスがゼロになるということはありませんが。

実際に、将来的にはにんげんの仕事の70%はAIが代替できるようになると言われていますし、今の4割程度の仕事は代替される可能性があるそう。

にんげんの性質は無限にあるし、当然仕事の「向き不向き」はある。
ただ、むつかしいところが、「やりたいという『思い』」と「おまんま食べなきゃいけないという『義務』」があるということ。

「だって、おまんま食べれなきゃ死ぬもん。死なないためにはオシゴトしなきゃあかんでしょ。」

その通りだと思います。

「ツマも居るし、コドモも居るし、だからオシゴトしなきゃあかんでしょ。」

わたしにはわかりませんが、そういう考えもあると思います。


ただ、『オシゴトは、生きるための手段であって目的ではない』っていうのは忘れるべきでないのではないか。


わかりやすく、
生きるために栄養を与えてくれる「趣味」や「家族(団欒)」を『時間』とし。
オシゴトで得られる「お金」あるいは「名誉・肩書き」を『対価』とします。


要はオシゴトって、

『「時間」のために「対価」を払うか』
『「対価」のために「時間」を払うか』

てことなわけです。

で、性質によってどちらが合ってるかが分かれるのだと。


自分の性質がどうかによって、きちんとそれを見極めなくちゃいけません。
なぜなら、生死に関わるから。

勘違いされやすいのですが、
「生きるということ」を「オシゴトをするということ」と思っている人は多いです。


就職しなさい、金を稼ぎなさい、家族を養いなさい、とか。
アルバイト・非正規雇用・契約社員は正規雇用や正社員よりも「格下」だ、とか。


こういうのは「思想」であって、「真理」ではないです。

思想を信じ込んで一生懸命実践するのは、宗教と同じ。
それが良い人には良いし、悪い人には悪い。

その「思想」が自分に合ってるかどうかが一番大事なんじゃないかなぁ。

・・・うまくまとめられなかったけど、次の記事はこころの話をしようと思います。

2018年4月5日木曜日

職業的○○と協力的○○の圧倒的違いについて

つぼさかは激怒した。

否、それほどではない。


でも、ちょっと引っかかったことがあるのでしたためる。
ホントは紹介したい舞台があったのでブログをアップしようと思ってたのですが、
別件の諸々でちょっと引っかかったので、内容を一部変更してお届けしています。

紹介したい舞台については、明日、改めて。


・・・これまで、特に、大阪に来てから言われ始めたことがある。


「で、結局、役者と照明どっちがやりたいの?」

逆に聞きたい。

「どっちかじゃないとダメなの?」



京都でやってたときは、
そんなこと言われたことは一回もないけど。


なので、角が立たないようにその時に合わせて答えてますが、
たぶん状況と人によって「意見のふらふらするよーわからんやつやな」とは思われてると思う。

でも、申し訳ないけど、どーでもいい。



もちろん、「お仕事ですから。」と割り切って、という場合ももちろんあります。
ありますが、そういう現場はどちらかというとキライです。



あれ。お芝居って、作品って、・・・・・・と思うのです。

そりゃ、「ガチガチにやりたいことが決まってます、だから全くこの通りにしてほしいんです。」ていう、スタンスであれば別の話ですが。

それはそれで、別に否定はしません。

「この値段の報酬をお支払いしますので、このくらいの仕事をしてください。」という相互の理解があるのなら、「お仕事」ですから。

「職業的お仕事」の価値観です。


でも、例えばね。
「こういうことがしたいんです。でも、お金がありません。」てなったらどうでしょう。

普通なら、
・そのお仕事を受ける前に報酬の交渉をして、相互の理解が得られる契約をする
・予算内でできる範囲の仕事を提案する
・断る
の3択ですよね。

その3択も選べない場合は、「お仕事」ですか?

「お給料もらうなら何でもかんでも、どんな条件でもお仕事でしょ!」ていう横暴な意見の人もいるかもしれませんが、
その、「お仕事」以上のものが得られる「別件」があったとしたら、どちらを選ぶかは当事者の自由ではありませんかね。

「お仕事」してない分の報酬は受け取らないんですから。
「お仕事」なんだったら、そんな言われる必要あります?

と、問いたい。


そういう「職業的な」お仕事に対して、「協力的な」お仕事について、よく覚えておいて欲しい。

報酬が十分でなくても、やりたい「お仕事」ってのは、世の中にいくらでもある。

人生の価値を、「お金」っていう指針で考えていない人、
もしくは「お金」を他の事柄と純粋に比較できる人は、「報酬」だけではお仕事を選ばない。

あえて、断言します。

例えば、「あなたの現場なら、ディスカウントしてお仕事を請け負います」みたいなこと。
個人的な関係性かもしれないし、「あなたの現場」に価値があるのかもしれないし、「あなたの現場にいる人」に価値があるのかもしれないし・・・

少なからず、「あなたの現場に投資する価値があると判断しています」ということ。
それが現金かどうかは、人生におけるそれぞれの価値感で変わるだろうと思う。
これ、すなわち「協力的お仕事」。


「協力的お仕事」ていうのは、関係がすごく希薄。首の皮一枚でつながっている状態です。
受ける側が、受ける側にとっての価値を見出せなくなった瞬間に終わる関係です。

その点、「職業的なお仕事」は報酬という確固とした価値があるので、なかなか終わりません。


そこで、今回の問題。

ある「協力的お仕事」よりも、他の「協力的お仕事」に価値を感じたとき、前者のお仕事の割合を減らしたときに、
誰が咎める権利があるのか。怒りを買うのはお門違いだと思うんです。

『前者は後者よりも、「価値」を見出す必要があった』というお話。


そして、でも、前者の協力的お仕事に対して、受注者は「協力したい」と思う気持ちがあって歩み寄ろうとしても、
それが互いにうまく行かない場合は、その歩み寄りも無意味になってしまうということ。

・・・厳密には、無意味にはならないのでしょうが、結局「ないがしろにされた感」だけが残って、結果的に受注者にとっての価値が下がることは間違いないということ。

2018年4月2日月曜日

結論:バターコーヒーで痩せないならまずい。『最強の食事(著:デイヴ・アスプリー)』を読んだよ。

『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』で紹介されているバターコーヒー。

完全無欠コーヒーとも呼ばれていて、検索すると色々な情報が出てきます。

衣装あわせで来た衣装がパンパンすぎて、これはヤバい、と思って実践し始めました、バターコーヒーダイエット。

結論から言います。

本で紹介されている食事をして、

痩せなかったらマジでまずい。です。

=100%痩せます。

本の通りに実践すれば。

かく言う私ですが、

お稽古期間中や小屋入り中は、何かと「その後の語らい」の時間があるため本の通りとはいきませんでしたが、

その「語らい」に参加しながら私のできる範囲で実践したところ、

2kg、減。

微々たるものですが、

衣装のパンパン加減は多少マシになりました。

期間でいうと、2週間ちょいでしょうか。

本の中で紹介されていた3パターンのダイエットメニューのうち、

私が実践したのは「完全無欠断続的ファスティング」というもの。

「ファスティング」とは、「プチ断食」ととらえて問題ありません。

「完全無欠断続的ファスティング」を簡単に説明すると、

1、朝食には、「完全無欠コーヒー=バターコーヒー」を飲む。スッキリ寝るために14時までに飲み終える。

2、昼食は、前日の夕食から15~18時間開けて摂る。

3、夕食は、昼食から6時間以内に摂る。

というものです。

要は、次の日、昼食を12時に食べたければ、18時までに夕食を食べ終わる計算です。

わたしはそれが無理なので、夜0時までに食べて、次の日は18時頃にご飯を食べてました。

その他、“こういう食材がいいよ!”とか、“このレシピがおすすめ!”等々も書かれていますが、詳しくは書籍を手に取っていただけたら。

私はバターコーヒーのレシピ以外は「できる範囲」でやってました。

制限かけすぎるとストレスになるので、それほど厳密すぎない方が続きます。

空腹で狂いそうな感じは全くなく、食べるものを選ぶときも“コレコレ♪”とちょっと楽しかったです。

あ、ひとつだけ。

この方法では小麦粉が良くないと散々書かれていたので、パンは我慢しました。

1日めはツラかったですがその後は以前ほどパンに固執することはなかったです。

で、肝心な、バターコーヒーの作り方。めちゃくちゃ簡単です。

用意するものは、3つだけ。

・熱々のコーヒー2杯分

(できれば良いヤツ。複数の産地のブレンドでなく一ヵ所のヤツがなお良し。)

・MCTオイル 

(中和脂肪酸というヤツ。空腹度によって大さじ2杯までで調整可)

・グラスフェッドバター 大さじ2杯まで

(牧草で育てられた牛のバター。放し飼いだとなお良いらしい。空腹度によって大さじ2杯までで調整可)

《のちに、費用感も上げます。》

この3つの材料を、ブレンダーだかミキサーだかで撹拌して、バターがもこもこになったらできあがり。

わたしはカフェラテとかをつくる、ミルクフォーマーを使っています。

カップとセットになっている飛び散らないタイプがおすすめ。

このバターコーヒー、
...めちゃめちゃウマいんです。

「コーヒーは何と言ってもブラック!!!」と思ってましたが、

初めて飲んだときは驚くほどのクリーミーさに思わず「ウマっ!!!!」と呟いてました。ひとりで。

ダイエット初日は、

「これだけじゃ、絶対お腹減るなー...」

と心配してたんですが、

思っているよりしっかりお腹にたまって、お昼ご飯までの時間も全然苦になりません。

むしろ、昼食の時間を効率的に使えるし、

シャキッとするので確かにパフォーマンスが上がる気がします。

(ダイエットに加えて、パフォーマンスアップの効果も紹介されていました。

さすが、ビジネス書ランキングに入ってるだけある。)

公演終わって、ちょうどバターがなくなったのもあって少し休憩しましたが、

今後も継続して続けようと思ってます。

グラスフェッドバターはまずまずのお値段がするので、長期的にやるには業務用の大きいヤツがおすすめ。

ただし、やっぱり高いヤツのほうが、美味しいです。ちょいちょい挟むくらいがちょうど良いかと思います。

是非お試しください。

2018年3月31日土曜日

バターコーヒーは痩せるのか、やってみた。『最強の食事(著:デイヴ・アスプリー)』を読んだよ。

3記事に渡って、先日の公演についてお伝えしてきましたが、
今回はそれに付随して、読んだ本のことを書きます。
『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』(著:デイヴ・アスプリー)
ちょっとブームは去りましたが、書店ではまだ平積みされてるほど人気の本です。
調べてみると、17万部を突破するほどのベストセラーで、ダイエット本のジャンルだけでなく、ビジネス書部門でもランクインしてるんですって。
『最強の食事』の著者は、IT系の起業家さん、マーケター、投資家。ビジネス書としても人気が出たのも頷けます。
自らを「バイオハッカー」といって、自分の体に合う食材を徹底的にリサーチしてこの本を手掛けたのだそう。
...わたし、こういう類いの本、めちゃ好きなんです。
というのは、まず、文章がめちゃおもろい。
スッと入ってくる。
たまに、本を読んでいても全っ然入ってこないヤツ、ありますよね。
中身は面白くないこともないんだけど...みたいなやつ。
単純に、著者の話が面白いのか、訳が秀逸なのかは定かではありませんが、一気に読み終えてしまいました。
で。著書の中でめちゃ推しの「バターコーヒー」。
流行ったので聞いたことある方も多いと思います。
衣装あわせをしたら、パンパン過ぎたので、「バターコーヒーダイエット」、挑戦することにしてみました。
まず、お伝えしなくてはいけないのが、「最強の食事」について。
著者が言うには、「いい食材を食べれば、お腹減らない。だからとにかく良質のものを食べろ!」
「体の組織は脂肪でできてるから、脂肪を摂れ!むしろタンパク質はだめ。」なのだそう。
ダイエットの常識を覆す持論を展開しているんです。
“なんだそりゃ!!”
しかししかし、この著者は、120kgの巨漢から50kgのダイエットに成功し、今も維持しているそう。
50kgも減ったら、わたしなんか消えてなくなってしまいます。
それは困る。
ただ、まぁ、紹介されている食事パターンは、自分に合うようにアレンジしても良い、ということ。
このアレンジの幅があるのは、ありがたい。
自由度は結構高めです。
ですが、問題は、「いい食材って、なんぞ?」ということ。
著者が言うには、
世に溢れる食材のなかには、目に見えないくらいのカビ菌がいて、
そのカビ毒が主に「腹ペコ脳」を刺激して際限ない食欲がくる。
のだそう。
たとえば、基本的に発酵食品はダメ。乳製品もほとんどダメ。
質の悪いエサで育った家畜の肉やミルクや卵には微量にカビが含まれるのだそうで、
さらに加工の過程でもカビが発生しやすい、と。
添加物が含まれるものは、質の悪いのをごまかすために入れられてるようなもの、だ、そう。
お気づきの方のために言います......
この「最強の食事」、
ちゃんとやろうと思ったら......
めちゃめちゃお金かかります!
そもそも、「無添加」だったり、「良質のエサで育った」だったり、「無農薬」(オーガニックのものも良し悪しあるそうです)だったり...
ちょっと庶民には手が出しづらいんですよね...
そりゃそりゃ...。
だって、たまに奮発して美味しい焼き肉食べに行ったら、
「え、こんだけでもう十分!?」て自分で驚くことありますもんね。
...話がそれました。
なかなか長くなってしまったので、
記事を区切って書いていこうと思います。
次回は、バターコーヒーの作り方とか、実践的なことを書く予定!

2018年3月30日金曜日

人の骨は、しがんでしがんで味がでる③

作家・南出謙吾はほんっと頭おかしいと思う。
(あえて敬称略で呼ばせていただく。なぜなら語感がものすごくいいからだ!)

南出さんとお会いしたのは、お稽古を見に来てくださったときと、
あとは会場入りしてから、中日の朝の本番を見ていただいて、夜のリーディング。
の、2日。

でも言います。ほんっと頭おかしいと思う。

初めてお会いしたお稽古場では、
カチッとしたスーツを身にまとい、パソコンをぽちぽち、
何となく仕事できそう系の「偉い人」ぽい感じでした。

その「偉い人」感にびくびくしながら稽古を進めていたわたしたちを前にし、
「この脚本、変なので、テキストに囚われないでください。」
と言い捨てて颯爽と去っていったのです!(脚色してます。去ってません。)

脚本に囚われまくっていた座組み一同。
めちゃくちゃ厚い雲から光が差し込んだ思いがしました。(主観です。)

そして、つぼさかはつぶやいたのです。「演劇って、楽しいなぁ。」(これはホント。)

南出さんが来て下さった中日、お客さんを交えての小さな飲み会がありました。
そこではあまりお話できずだったのですが、
帰りの電車を待っている間の、南出さんの言葉は忘れられません。

「普段、あんまり飲まないんですよ。早く帰りたいし。早く帰って本書きたい」

どかーーん!!(心の中の音。)

(飲み会で)顔を真っ赤にして、そんなことを無垢に語る大人。
たまらん!むっちゃ好きだ!!

ものすごい、愛のある作品づくりをされてるんだろうなぁと。
南出さんの本には愛がいっぱい詰まってるんだと思わされました。

ところで・・・・。

今回、『みそ味の夜空と』を取り組む機会をいただいて、
初めて南出さん作品に触れることとなりました。

『みそ味の夜空と』という作品の第一印象は、
「スルスルスルっと入ってくる、軟水みたいな脚本」という感じ。
決して複雑なストーリーはなく、単純で、わかりやすい兄妹の話。

その中に、わかるかわかんないかくらいの、ちっちゃいちっちゃい小ネタがちりばめられている作りです。

スルスルっと読めちゃうもんだから、その小ネタが小気味よく、
読み合わせのときは、みんなで笑いながら進めていました。

でも、立ち稽古が始まったら、ちょっとずつ面白くなくなってくる。
お芝居が立ち上がったらペースが落ちて、
面白いタイミングでセリフが聞こえてこなくなるんです。

読み合わせではあんなに面白かったのに、
動きをつくると考え込んで、「整合性」に負けるんです。だから面白くない。

南出さんの作品に出てくる登場人物、少なくとも、『みそ味の夜空と』の人たちは、
ほとんど全員が脊椎で喋ってるんです。
だから突然ワケわからないことを言い出しちゃう。
その、人の「ワケわからない」面白さを、南出さんはうまく文字に起こしていて、
だから、何も考えずに読んでいたときが一番面白かったんだと思います。

お稽古の途中、終盤あたりになって、
「もう一度、ちゃんと読もう」と、台本を見ながら読み合わせをして、
“本来の面白いペース”を再確認したのも初めての経験でした。

演じる方も、脚本への最初の印象がめちゃくちゃ大事なんやと痛感したお稽古でした。

リーディング脚本『かばんの密度』と『ひとりぶんの嘘』は少し違って、
男性目線からと女性目線から描かれた一人称小説みたいな印象。

こちらも結構ストレートなお話で、スルスルっと入ってくるお話。

3作品に共通して言えるのは、
真っ直ぐ、そのまま、まっさらな状態で観たり、聞いたり、読んだりするだけで面白い作品ということ。

きっと、人が好きで、演劇が好きで、好きで、好きで、
好きがいっぱいある人なんだろうなぁ。と勝手に思っています。

それで、惜しみなく出し続ける作家・南出謙吾(あえて敬称略。語感。)はやっぱり頭おかしいと思う。

(※ディスじゃありません。めちゃくちゃ褒めてます。念のため。)

2018年3月29日木曜日

人の骨は、しがんでしがんで味がでる②

先日、無事終演をいたしました、黒電話プロデュース。
3ヶ月ちょっとという期間をかけて取り組んだ、『みそ味の夜空と』という作品について書いていこうと思います。

『みそ味の夜空と』、
ご覧いただいたお客さまから、色々な感想を頂戴しました。

「ちょっとおかしな人たちの」、などと表現されているのが少し目につきましたが、
わたし自身は、全くもって、全然、おかしいとは思いませんでした。

そこらへんにいる、普通の人たち。
わたしにはそんな風に見えました。

確かに、台本に書かれているセリフやト書きは、
一見、破天荒でワケがわからない言葉や、なぜこんなコトするのか意味不明だったりしました。


でも、普段生活してる中でも、
破天荒でワケがわからない言葉を使って喋る人、
意味不明な行動してる人、いっぱいいっぱいいませんか?

たぶん、そのうちの一人がわたしなんだと思います。

なので、わたしはこの脚本を読んで、
「作家の南出謙吾さんは、なんて、日常を切り取るのがうまい人なんだろう」と感じました。

舞台では、「少し特別なある日」「数日後」「その数日後」と書かれています。
日常のうちの、「少し特別なある日」とその日につながる「ある日」を切り取っているお話。

当然、彼、彼女たちには他の日常があるわけで、
その日はきっと、朝の満員電車に揺られて会社に行っていたり、お米を炊いたり、着ていく洋服に迷ったり、自転車のチェーンが外れたり、しているわけです。


でも、作品として表に出てくるのは「少し特別なある日」とその日につながる「ある日」のみ。
作品に表現されていない他の日は、知る由もありません。

感覚としては、普段、生活して誰かと過ごすのと、なんら変わりはありませんでした。


作品に取り組み始めてから、本番、舞台に立っている間、今現在に至るまで、
精神的な変化がほとんどないのは、そのためなんでしょうか。

実は、本番が始まっても、「本番って感じがしないなぁ」なんて、
他の俳優さんに漏らしていたんですが、
その理由が何となくわかったような気がしました。

いつも舞台に立つときのように、「気合満点!」な状態ではなく、
完全リラックスモードでの本番だったように思います。
喉が渇いたり、とか、体は多少緊張していたみたいですが、精神的な緊張はほとんどなかったように思います。


『みそ味の夜空と』終わって、今の率直な感想は、
「めちゃくちゃ仲のいい友達が一人増えたような気分」です。

こんな感覚、初めてです。

2002年に書かれて、現在まで15年以上、上演され続けて、
たくさんの人からの愛を受けてきた作品なんだろうな、と。

良き作品に出会えたなと、心から感じています。

2018年3月28日水曜日

人の骨は、しがんでしがんで味がでる①

そっこうで更新が途絶えてしまったのには、ワケがあります。
・・・3/25まで、小さな小さなお芝居の公演の本番がありましたのです。

で、この場を借りてお礼と感想をば、あげたいと思います。


「みそ味の夜空と」無事終演しました。
ご来場のみなさま、ありがとうございました!!!


大阪、十三というディープな街の一角、カフェスロー大阪という場所での公演でした。

商店街を抜けた先にある、小さな小さな空間ですが、
目一杯のあたたかさが感じられる場所です。

残念ながら、カフェスロー大阪さんは、今月を持って一度解散。
今後の見通しはまだ立ってないのだとか。
とても良い空間なので、公演したいという団体さんは多いようで、
「なんとか、貸し小屋として運営できるように、努力します、」とのこと。

そんな、「最後かもしれない」空間に立たせていただけるというのは、
ほんとにありがたいことで、
ご来場いただいたお客さんもほんとにあたたかくて。

実は本番中にほろりしてしまいました。

ほろりです。ポロリじゃありません。

・・・話がそれました。

お伝えしたいことが山ほどあるので、
記事を分けて記したいとおもうので、ここでは、まずお礼をば。


その週には、他の劇場でも多くの公演がやられていた中、
わざわざ足を運んでいただいたお客さま。

ほんとうにありがとうございました。

わたしたちは、お客さまがいるから、舞台に立てるのです。
今回の公演では、そのことを改めて実感することができました。

そんな気持ちを思い出させてくださって、ほんとうにありがとうございました。

そして、機会を与えてくださった、演出家(初演出!おめでとうございます)。芦川諒さん。
脚本を提供してくださった、common days・りゃんめんにゅーろん・らまのだ(肩書き多い!)、南出謙吾さん。

気付いたら、座組みで一番付き合いが長かった、真面目で信頼できる女優さん、水木たねさん。(「北摂の野良役者」!初共演は恋人役でした。)

絡みはなかったけど、やさしく接してくださった、西村朋恵さん。(気付いたらゼロ距離にいてくれる!秋田弁ラジオ体操楽しかった。)

公私ともに、面倒見てくれるやさしいお兄さん。白石幸雄さん。(くりくりお目めが超かわいい。お稽古場を明るくしてくれるムードメーカー。)

同じく、あんまり絡みはないけど、真面目でやさしいお兄さん。阿形ゆうべさん。(へらへらしてるようで真面目。おしゃれ番長!)

リーディングでお力添えいただいた、中野智佳子さん(しろみそ企画)、松浦由美子さん、山本祐也さん(りゃんめんにゅーろん)、成瀬トモヒロさん(ナルセケ)。

感謝。感謝。感謝。です。


あんまり、お芝居ロスにならないほうだったのですが、
公演終わって3日経っても、まだ少しロス気味です。

しばらくこの公演について、ブログ書き溜めようと思います。


2018年3月21日水曜日

今さらながら『武器として書く技術』(イケダハヤト著)を読んだよ。

ライターとしてお仕事を始めて気付けばもう1年半くらい経ってしまいましたよ。
ぼちぼち、何とか、ちょこちょこと続けていますが、
ホント、時間が足りないナァ・・・。

世間で活躍してるライターさん、ブロガーさんたちはどうやって時間捻出してるんでしょうね。
収入得るためには記事こなさなきゃいけないし、
自己プロデュースでHPつくって、ブログ書いて、
それに広告貼って、収益管理して、PVの動向みながら最適化して・・・て。

ホント、時間がない。

学生の頃から演劇の脚本書いてるし、
文章書くのは結構好きだから、と思ってライターの世界に飛び込んでは見ましたが、

やっぱり、思ってるようにいかないのが世の中ですね。

うぅぅぅ、日本中、世界中をうろうろしながら生活できるようになりたいぜ。


・・・・と。言うことで。
タイトルの通り、今さらながらですがイケダハヤトさんの『武器として書く技術』を手にしました。

まずまず単価の低めな量産型の記事を、ここ1年ぐらい続けて受注してるんですが、
あまりに時間が取られすぎるので、外注化してみたら、
「コレは意外といけるぞ!」となりまして。

お陰さまで、手持ちの記事がひと段落したので、
お勉強の時間に充てようかと思って、昨日本を一気買いしてきました。
やー、お金使うの、気持ちいいですねー。

・・・話がそれました。

イケダハヤトさんは、たまーーーに、ブログをチェックしたりしていて、
お名前やらは何となーく、知っていて、
書店をうろうろしていたら目に付いたのが、『武器として書く技術』

ホントは、挑戦したい案件があって、テスト記事を受けるために
"コンテンツマーケティング"についての書籍を探してたんですが、
読んでて損はないだろうということで、購入。

コンテンツマーケティングの関連書籍も何冊か買ったんですが、
やっぱ、最初は一番興味のあるものから、てことで読み始めました。

・・・・おもしれぇ。

さすが、プロブロガーさんだけあって、すいすい読めちゃうんです。飽きない。
内容もめちゃくちゃわかりやすい。ゴクゴク飲めちゃいます。サラッと入ってきます。

イケダハヤトさんのブログは、ソーシャルメディアとか、仮想通過とか、本とか、フリーランスとか、色んなテーマの記事があって、
(ご自身は「飽き性なのがバレますね・・」と言ってました。飽き性でもいいんだ!
わたしは「仮想通過」で検索したのかな。確か。

一つの記事を読んだら、どんどん他の記事も読みたくなります。
時間泥棒です。

そういえば中学だか高校だかのときに、
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」ってブログにハマって、
学校サボって一日中読んでたのを思い出しました。

「鳴かぬなら~」管理人のスネ~クさん、どうやら新しいブログサイト立ち上げたようですね。
今ツイッターで発見しました。
仕事サボって一日中読みたいと思います。

それから、
『武器として書く技術』を読んで一番よかったことは・・・・


自分が、
文章を書くってことが好きだったんだってことを
思い出したことです。


コレ、ホント一番大事なやつですよ。
内容ない記事になってるけど、すっごい楽しいですもん。今。

でも、いいんです。
続けて書くには、「飽くなき情熱が必要」って、イケダハヤトさんも言ってるし。


文章書くのに行き詰ってるライターさん、ブロガーさんは
是非、読むべきです!おすすめ!!


武器としての書く技術【電子書籍】[ イケダ ハヤト ]



イケダハヤトさんの他の著書も挑戦してみようと思います。 例えばこんなん・・・


旗を立てて生きる 「ハチロク世代」の働き方マニュフェスト (就職しないで生きるには21) [ イケダハヤト ]



新世代努力論 「恵まれた世代」は判ってない。これがぼくらの価値観 [ イケダハヤト ]



・・・の前に、"コンテンツマーケティング"の勉強だ・・・