2019年1月8日火曜日

(・・・昨日の記事を読み返すと

・・・(昨日の記事を受けて、)と、いっちょ前に思うのだ。セカイはもっと広いのになぁ。と。
演劇を介するとセカイは無限に広がってゆくのに。現実ではなぜこうも視野が狭まるのだろうか。

それはつまり、「演劇は嘘だ」という、どこかでそういった諦めがあるのだ。

演劇をホントにしたいと。
ホントの延長を演劇にしたいと思っていたのに、そんな自分が一番に線引きしているのがなんとも切ないことだ。

ただ一つ、救いがあるのは、
演劇は、現実よりも豊かだということだ。

昨日みた、かしこしばい『河童ライダー』でのセリフの様に。

演劇のドコがすき?―なんでもアリなところ。

本当は、現実でもなんでもアリなのだ。
ただ、自分がブレーキを離さないだけで。

それだけはわかっている。


でも、演劇は、決して嘘ではないのだ。

2019年1月7日月曜日

2019年観劇はじめ。『河童ライダー(かしこしばい 於:ウイングフィールド)』をみました。

2019年の観劇はじめは、実は9日の予定でした。が、ひょんなことから繰り上げで観劇はじめをすることとなりました。

というのは、わたしが小劇場に足を踏み入れて間もなくの頃からお付き合いのある、パイセン兼マブダチ(死語)のスタッフさんから、「たぶん、すきな作品だと思うよー」と、わざわざ電話での知らせがあったからだ。深夜に。

お仕事もあるにはあったのだが、10年来のマブダチ(死語)が薦めてくれるなら…と、半徹夜で子宮頸がんの検診を受けた後、諸々の予定をさくっと終わらせて劇場へ向かうことにした。コンディションは、まずまずだ。

知ってる人は知っている、知らない人は覚えてね。
何を隠そう、わたしは「アングラ」が大好物だ。
「なんたってわけわからん。でもなんでこんなに感動するんだろう。わけわからん。」みたいな作品は、もう、たまらん。

そして、「静かな演劇」も大好物だ。
「なんて凝縮した空気感。生感。何も起こらないのに、どうしてこんなに劇的なんだ…!」みたいな作品も、もう、たまらん。

話は逸れるが、商業演劇軽演劇もすきだ。あと、いい大人たちが汗だくで唾飛ばして捲し立てる系の、いわゆる小劇場演劇(ちょっと昔の、オーソドックス!なやつね。)もめちゃくちゃすきだ。


■『河童ライダー』について。作品の話しなくっちゃ。■


で。
今回拝見した『河童ライダー』
ジャンルで言うと、「アングラ」と「静かな演劇」の合いの子。という印象(つぼさか視点)。どちらの要素もある。でもどちらでもない。という感じ。

これは、良くも悪くも、という意味です。良くも悪くも「アングラ」だし、良くも悪くも「静かな演劇」だったという感想でした。どちらも大好物なだけに、《物足りなさ》を感じてしまう部分もやや目立ちました。一観客として。

作品全体としては、上の件もありつつも非常に好感が持てる仕上がりになってるなと。とても感心しました。すごいなぁ、若い人たち…。

追いかける…とまではいかないまでも、次回‥次々回の作品はチェックしてみようかしら。と、思っています。

ちなみに、あらすじ…というか、内容は、ある家族のお話で。

結果的に孤独死のような形でおばあちゃんを亡くしてしまった僕(主人公)の心を描いた作品で、
演劇部の僕が、おばあちゃんを河童になぞらえて脚本を書いているシーンがベースになっているお話(孤独死したおばあちゃんは腐ってしまって河童のような姿になっていたのだろう)。

姉ちゃんは、新興宗教かマルチ商法にハマっているらしい。作品では明確にはならない。でも、その組織から買った「なんかイイ水」を大切に持っている。そして、これが原因で父(作品では出てこない)から暴力を受けているらしい。姉ちゃんは、新興宗教だかマルチだかに何かしらの救いを求めている。

僕は、想像のおばあちゃん(河童)と過ごすのだが(そして、しがらみから助けてくれるのだが)、おばあちゃんは唐突に去ってしまう。←多分、現実と向き合うという葛藤なのだろう。

親戚一同が、面倒をみず、孤独死に追いやってしまったおばあちゃん。
なんとか、向き合いたい。でも、今までの自分の軽薄さへのうしろめたさと親戚一同への嫌悪感で向き合うことができない。姉ちゃんも、「イイ水(組織)」への疑問があれど、立ち切れない。

それでもおばあちゃんと向き合いたくて、おばあちゃんに乗せてもらったバイクの想い出にのって、追いかける。追いつかない、追いつかない。
だから、これまで自分を縛り付けていた「うしろめたさ」や「(軽率な)救い」と向き合い、それらを捨てて身軽になると、バイクのスピードが上がる。…そして。

・・・みたいな。わたしの解釈なので、違ってたら関係者の人すみません。

ツライことはあるさ。「ああしておけば、こうしておけば」はあるさ。でも、前向いて生きていこうよ。みたいな、そういうメッセージを受け取ったような気がしています。


(ちょっと真面目っぽいコト言います。)演劇の構成要素と観客のこと■

で、で。ここからが、ちと、大事…。

思うんですよ。演劇って、って。

演劇って、3つの基本要素があると言われているのです。その3つが、「空間」「俳優」「観客」。人によっては(本によっては、でもある。)、「空間」が「脚本」に変わったりもするけれど。

観客と俳優が存在すればそこが「空間」になるわけだし、インプロ(即興劇)とかもあったりして、「脚本」は存在しなくても良い、という考えもあるので、この2つは作品性とかどこに価値を見出すかによって変わってくるのだと思うのですが。
あと、「演出」というのも入ったりするけど、演出を立てずに構成していく演劇作品もあるので、これも同じく。

多少、第三の要素としては入れ替わることもあるけれど、絶対的な基本要素としては、「俳優(=演じる者)」「観客(=それを観る者)」が必要なんです。演劇には。

当然、劇場で作品を観るとき、観客はチケット代を払って席に座ります。2500円とか、作品によっては8000円とか、もっと払うこともある。でも、演劇の構成要素として「観客」は必要不可欠なものでもあるのだ。と。

これってすごくないですか?
観客は、文字通り、客(=サービスを受ける側)であり、その一方では演劇の一部(=サービスを与える側)である。

これってすごくないですか?
『客席に座って作品をただ観ている自分は、この作品の一員である。』ていうのって。

演劇って、作家、演出家や俳優だけでは成り立たなくって、最後のエッセンスとして「観客」が加わることによって、その瞬間の作品が完成するんです。やっと。

これって、すごくないですか?

なので、わたしは基本的に、作品を観るときには『自分もこの人たちの作品の一部である』ということを思いながら客席に座ります。でもやっぱり、これまで生きてきた価値観や好みもあるから、できるだけ、自分が力を貸せるだろう作品の客席へ座るようにしています。

だって、舞台に立つとわかるんですもの。今目の前に座っている観客が、どのくらいこの作品を好きなのか。とか。
俳優も、スタッフも人間ですから、誰かから好きになってもらえるとパフォーマンスは上がるんです。その逆も然り。

わたしは、できるだけ良いパフォーマンスの俳優がみたいし良いパフォーマンスのテクニカルをみたいので、それならわたしもこの作品を一生懸命みよう。と思うのです。だってその方が良い作品に出逢える可能性が高くなるんだもの。て。

あとね。
作品を最大限に楽しむためには、自分のあるべきゴールに収めようとしないことです。

あなたはわたしではないのです。
これまで生きてきた環境も違うし、教わったことも違うし、食べるものも違うし、好みのタイプも違えば大事にしてることも違う。それなら、同じものを見たとしても、解釈や感じ方は当然違うのです。

世の中には、おもしろくないものって存在しないんじゃないかなって思います。
ただ、誰かがおもしろいと感じるものを、自分がおもしろいと思えるだけの知識と経験と教養が足りないだけなのです。
おもしろいものをおもしろく感じないってすごく残念なことですよね。だし、「おもしろい」は多ければ多いほど、人生得した気分になります。というか、絶対得です。

今、現在では「おもしろくないなぁ…」と思ったとしても、いずれ時間が経てばおもしろさがわかるかもしれません。それは、自分次第

損したくないから、今の自分ではおもしろさがまだわからないことでも、自分の価値観で塗り固めようとせずに、わからないならわからないなりにきちんと包んで心の中に留めておくことをおすすめします。強く。

■最後に、ニーチェがこんなこと言ってたそうです。■


事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。』

うむうむ。なるほど。「深い~」ですよね。

2019年3月。劇団大阪新選組さんの舞台に出演します。

ぽちょぽちょとお芝居の予定が入ったり入ってなかったりしています。
今年もどうぞごひいきにー。
(今年…今年度?あしたかぜ、やるぞ。やるぞ。意匠制作中。。。!乞うご期待。。。)
というわけで、まず一本目のお知らせをしておきます。
短編3本のオムニバスで、うち、1つの作品に出演させていただきます。


劇団大阪新撰組 第40回公演 
『短編まつり2 ~屋根裏EXPO 2019~』
あなたのつぶやきが世界をつくるかも?
もしもしも・・・貴方のひと言が世界を変えるとしたら。
貴方はどんな言葉をつぶやきますか?
たくさんの応募の中から今回は
「SNS」
「屋根裏」
「EXPO」
の3つのつぶやきより世界をつくってみました。
「おそうじ部屋」
作・演出:日高良基
「彼女はバベルの塔に、いる」
作・演出:南田吉信
「超いいね!」
作:中島忠靖 演出:栖参蔵
《日時》
3月1日(金) 20:00
3月2日(土) 15:00/19:30
3月3日(日) 11:00/15:00
受付開始は開演45分前。
開場は開演の30分前。
途中休憩はありません。
短編3本を一挙に上演します。
《料金》
前売 2,500円
高校生以下 1,500円
当日 2,800円
《場所》
ウイングフィールド
大阪府大阪市中央区東心斎橋2-1-27 周防町ウイングス6F
《出演者》
南田吉信、阿矢、古川智子、下村直裕、日高良基、本多信男、中村ゆり(魚クラブ)、つぼさかまりこ(演劇集団あしたかぜ)、古川裕扶子(劇団演陣)、荒木ヒロ(劇団乱れ桜)、灰冶、上西秋穂、GIDEON
※つぼさかは、#2「彼女はバベルの塔に、いる」に出演します。
《予約》
http://ticket.corich.jp/apply/96704/008/(つぼさか扱い)
《スタッフ》
【舞台監督】小林敬子(CQ)
【音響】笠木健司
【照明】溝渕功(compana)
【舞台美術】久太郎(AnahaimFactory)
【宣伝美術】〈イラスト〉高島奈々(七色夢想)
【宣伝美術】〈デザイン〉勝山修平(彗星マジック)
【制作】GULIVERBROS./堀川希絵(Office.P・T企画)

2018年12月13日木曜日

『ぼけますから、よろしくお願いします。』をみたよ。

「母、87歳、認知症。父、95歳、初めての家事。」
というキャッチコピーのこの映画。
『ザ・ノンフィクション』など、ドキュメンタリー作品を数々手がけている 信友直子 さん監督の劇場公開初作品なのだそう。
先月か先々月、ワイドショーをぼーっとみているよきに紹介され、
そのときから、なぜだか心が持っていかれていた。
あ、わたしはコレをみなくてはいけないのだ、と。

しかし、実際のところは、みるにあたってスケジュールや劇場を調べることはなかった。
そのまま、忙しく毎日が過ぎてゆき、何となく日々を送っていた。

つい、先週末のことだ。
これもなぜだか、ふと、調べてみた。「そういえば、まだやっているのかな」と。

ワイドショーで取り上げるくらいなので、大きな劇場でやっているものだと勝手に思っていたが、実際には大阪でやっているのは1か所。
心斎橋のビックステップ内のミニシアター。しかも、平日は1回だけ。
あまり積極的には映画をみるタイプではないので、知らなかった。
ドキュメンタリーは、やっぱり他のジャンルと比べて上演数が少ないのだ。
そして、短い。

ドキュメンタリーで、1万の動員があれば大ヒットと言われているそうで、
この作品は先月の時点ですでに2万人の動員を超えていたらしいので、
まだ今後も引き続き上演される可能性はあるが、
とにかく、上映がわかっているのは、1週間分。

わたしのスケジュールから考えると、今日、しかなかった。


実は、仕事が予定通り進んでおらず、まずまず押し気味、ではあったのだが、
この機会を逃してはいけない。と、慌てて家を出たのだ。

2時間の上演で、1時間50分は泣いていた。

悲しいのか、つらいのか、家族の絆に感動していたのか、わからない。
でも、なぜだか泣いている。

これまで家族の面倒を見続けていたのに、それができなくなってしまった母の苦悩に泣くのか、
これまで家事もできなかった父が、壊れていく妻のために掃除機をかけリンゴを剥く姿に泣くのか、
目の前にボロボロの両親がいてもなお、カメラを止められない娘に泣くのか。
そしてそれでも生きていく家族の絆に泣くのか。


信友一家の出来事は他人事ではない。

寿命はますます延びていくだろう。
けれど、寿命が延びていくのは単純に良いこととは言い切れないのだ。

核家族化が進み、高齢の夫婦のみで生活している人たちは今後もどんどん増えていく。単身で生活している人も多いと聞く。
「まだまだ元気だ。大丈夫だ」と当人たちは言う。でも、当人たちが知らないうちに、どんどんできないことが増えていくのだ。

トランプタワーのようだ。
お互いに、お互いを頼って何とか立つことはできるけれど、少し風が吹けばもうとどまってはおけない。

わたしの目には、この一家が風に吹かれているように映った。そして、今度は自分も。と。


以前、祖母が家の中で転倒して、背骨を骨折しました。圧迫骨折。
わたしのいるときに祖母が救急車で運ばれるのは2回目でした。1度目は、大腿骨。
1度目の時は家の中を這って、自分で救急車を呼んで、お薬手帳を用意して、自分で階段を下りてきていました。たくましい。

2回目は、部屋へやってきて、「背中、どうなってる?」「痛い」「救急車呼んで」と言い、自分で外へ出て隊員さんの担架のところまで歩いていきました。たくましい。

祖母の検査を待つ間、目の前にヘルパーらしき人がいました。そわそわと、方々に電話をかけていました。しばらく後、中年の男性がやってきて、状況を聞いていました。
結局、その中年男性のお父さんは、亡くなりました。病院へ運ばれた時にはもう手遅れ、という状態だったそうです。

『ぼけますから、よろしくお願いします。』をみたあと、なぜかこのことを思い出しました。同じような感情が出てきたのかもしれません。

人が死ぬのは、仕方がないことです。
わたしはそのまわりの人たちをみるほうがツライ。

人が老いるのは、仕方がないことです。
でも、老いた人も生きていかなきゃいけない。
まわりの人も生きていかなきゃいけない。

これは、本当に他人事ではない。
身を削って世に出されたこの作品は、相当な問題提起作となるだろう。と感じました。

『ぼけますから、よろしくお願いします。』は、シネマート心斎橋にて。
16日(日)までは、1430から。17日(月)~21日(金)までは、1215から。
以降のスケジュールはシネマート心斎橋HPよりお調べください。

おすすめです。

2018年12月11日火曜日

「オレ達、しばらく距離置いた方がいいと思うんだ。」

「あなたのことがわからなくなりました。だから少し、距離を置きましょう。」的なやつ。

これって、すごい良い考え方やよなぁ。

ちょっと距離置いて、
冷静になってから
きちんと「要る」か「要らん」かを判断できる。
(諸々のイイ口実になってることもあるのだろうが。)

でも、これ、
だいたいの場合、距離置いた方が良いのって、
「相手」ではなくって「自分」だったりするよねぇ。

一番知るべきは、自分。


自分、も、
一応「人」なんですから、傷つけないようにしてあげたいよなぁ。とか、思ったりするのです。

ある程度、他人ってなんとなく大事にできるわけですけれど、
・・・というか、大事にしないとダメだよねぇ、みたいな考え方がどこかにあって。

昔から、
「他人の嫌がることはしないように」とか
「他人に思いやりをもって」とか、
色んなオトナたちから口酸っぱく言われるわけなので、自然に身に着く思想なのでしょう。

でもやっぱ、
自分、も「人」やねんよなぁ。と思うのです。

で、これって、
自分の良いように、自分のことだけ考えて、とか、そういうのんでは一応なくって。

自分、も、他人と同じように扱うことってできへんのんかなぁ。と。



生まれてから今まで、ずっと一緒にいるヤツ。な、わけですから、
なんとなく「熱」が入るというか、「情」があるというか。

自分って、良くも悪くも「えこひいき」してしまうなぁ。と。
冷静じゃないというか。

これって、自分、を、他人と同じように扱うことが出来さえすれば、
なんとなく、自分に対しても相手に対しても思いやりをもって過ごせそうな気がするなぁ。と
思ったんですが、


じゃあどうすればいいねん。ってなったら、むつかしいよねぇ。

やっぱ、自分が一番わからへんし、でも自分が自分のことを一番よく知ってる。ていう。


・・・というか、
「他人」と会うときの自分、は、結構いつもウソで、
自分一人で居てもどことなく自分を創り上げているんだと思うんですが、

じゃあ結局、
自分っていうのは一体何で、
どれが本来の自分で、どれがウソなのか。てなると、やっぱわからん。

なんじゃこりゃ。


「自分」が「他人」になる瞬間、て、人生のうちで訪れるんでしょうか。訪れてほしいなぁ。
なんとなく、おもしろそうだし。


・・・という話。