「30になるまでに京都に帰りたいなぁ。」と思っていました。
思っていましたのを、今朝、思い出しました。
京都、というか、山科に。
山科っていうとけっこうみんなバカにするけど、
めちゃくちゃいいとこ。
団地と田んぼしかなくって、でも適度に生活には困らない。
人も車も少ないし、静かで。
うるさいのは、隣の田んぼのかえるくらいでした。
そんなことをふ、と思い出して、
「あーぁ、山科帰りたいなぁ。もう2週間でリミットやんか。」と、
ちょっとしょんぼりしておりました。
で。
なぜ、わたしは山科に帰れなかったのか、を考えた。
・仕事の問題?
たしかに不便だが、通って通えんことはない。
・金銭面の問題?
家賃もろもろ別途かかるのはもったいないが、別に出せんことはない。
そもそも山科はだいぶ家賃が安い。
・家族の問題?
たまにおばあがすっころんで骨折ったりするが、
そのときもだいたい救急車に同乗して病院に送り届ける程度のはたらき。
普段家にいても家族と何をするでもなし。
・生活力の問題?
かなり不安はあるが、大学に通ってた4年間は同居人はいたが一通りのことはやった。
いや、やらざるを得なかったのでやった。
とりあえず生きるだけの生活力はあるはずだ。
・・・・。
いや別に帰れなかったわけじゃないよなこれ。
やろうと思えばできたし、なんなら今からでもいける。やろうと思えば。
つまり、できたはずやのに自分が「やらんかった」だけの話ということ。
いやいや。そらあかんでしょ。
結局のところ、うだうだとなんやかんや自分で理由をつけて、
自分が「あー、やりたいなぁ」と思ってたことをないがしろにしてたってことです。
いや、あかんでしょ。
それってけっこうありがちで、
「あー、でもなー」とか、
「わかってんねんけどなー」とか、
「〇〇ができたらやろうかなー」とか、
「もうちょっと〇〇してから」とか。
周りの状況を言い訳にして、周りの状況のせいにして
当の自分は何もしない。
いやそりゃあかんでしょ。
結局なにも変わんないよな。それじゃ。と。
「自分がやりたいこと」にストップかけてるのは、だれでもなく「自分自身」やねんな。と。
それでうだうだしてるのって、ダサいなぁ・・・。と。
思うわけです。
・・・だからどうした。だから何をするんや。ということなんですが、
どうしてもやっぱ、ストップはかけてしまうのだ。
変わること・変えることっていうのはとてつもないエネルギーが必要なわけだ。
ほやけど、意識ひとつでちょびっと変わったりもするわけだ。
なので、もーちっと、シンプルに生きれるようになろう。
とちょびっとだけ決意を固めました。
自分が変われば、世界が変わる。のだ。間違いなく。
・・・という話。今日もまとまりませんでした。