2018年10月15日月曜日

わたし流、しあわせの作り方

しあわせに死にたいので、
つねに自分の嗜好には敏感でいたい。

好きなことをやって、好きなひとと過ごして、好きなものを集める。できる限りたくさん。
そいでできる限りたくさん好きを増やす。

しあわせはただの概念なので、
自分の気持ちひとつで変わります。

世間の、こうあるべきという先入観にとらわれると途端にむつかしくなるし、自分でブレーキかけて好きが見つかりにくくなる。

なので、好きを自分できちんと判断する。しあわせを自分できちんと決める。具体的に。

よく、しあわせになりたいとだけ言う人も多いけど、
じゃあ、あなたにとってしあわせってなんですか?ときくと、
具体的な応えが返ってこないことも多い。

わからないのになれるわけがない。

そういう人はだいたい、
世間が先入観でつくった「しあわせ」という幻想にとらわれてる。

いくら探しても見つからない。だって幻想だもの。「解なし」。

ただ、「解なし」には何通りかあって、
計算・調査・分析しましたが、立証できませんでした、ていうのと、
答えにはあらゆる数値が当てはまる、無限大、てのと。
あとなんかあった気がするけど忘れました。「=0」みたいなんやったかな。

あとちなみに後者は厳密には「解なし」じゃないんやけど、解なしでも答えとしてアリ、みたいになってたはず。


話がそれました。


とりあえずつまり、
「しあわせってなんじゃこらー」っていう問の答えは、
「解なし、あるいは無限大」なわけなので、


"自分にとって"(都合の良い)解を与えてやればいいってこと。
その定義づけをうまくできれば、しあわせになりたいってのもけっこう簡単てこと。


ただし、その定義づけってのがちょっとむつかしくって、

先入観にとらわれずにきちんと自分で決めへんとあかんということ。
先入観とか、偏見とか、既成概念とか、常識とか。

けど、こういうのって、生まれてから今までの教育(洗脳)によるものなので、取っ払うのは非常にむつかしいのも事実。


なので、やや矛盾もあるが、わたしは、
生まれてから今までの洗脳の賜物である「先入観」「偏見」「既成概念」「常識」から
自分で見出した『価値観』に基づいた、自分の『好き』を、
自分の『しあわせ』と定義しました。


だから冒頭の通り、
自分の嗜好に敏感でいることが、
わたしにとっては非常に大事。


あー。しあわせな人生やったなー。つって死ぬのが目標です。